ラッコの映画生活

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2008.06.06
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カテゴリ: フランス映画
LA SALLE DE BAIN
John Lvoff
白黒91min
(所有VHS)

SALLEdeBAIN0.jpg

ベルギー出身の作家ジャン=フィリップ・トゥーサンが自作を監督した一風変わった映画 『ムッシュー』 (1990)を以前とりあげました。そこでも書いたように、同じトゥーサンの小説をジョン・ルヴォフという監督が映画化したのがこの『浴室』です。15年くらい前に見て妙に印象に残っていたのですが、安い中古ビデオが見つかったので買いました。監督のルヴォフという人は LVOFF とちょっと変わって名前ですが、ロシア人を父、アメリカ人を母に、レバノンで生まれた人で、アメリカで哲学を学んだ後フランスに渡ってアラン・レネやポランスキーの助監督をやっています。最近作(2005)の『L'oeuil de l'autre 別の人の眼』を見たいと思っていますが、まだ果たせないでいます。

この映画には筋といったものは、まったくなくはないにしても、ほとんどありません。『ムッシュー』の主人公はムッシューで、その名前は特に示されてなかったけれど、この『浴室』ではボクで、やはり特に名前はない(演じるのはトム・ノヴァンブル)。原作のトゥーサンは、自伝的的要素がどうのということではなく、ムッシューもボクもそれぞれ小説を書いた時の自分の心象の反映だと言っています。ムッシューがどういう人物なのか良くわからなかったけれど、でもとりあえず職探しをしていた。でもこの『浴室』のボクになるとさらに謎。二人で住むにはかなりリッチな広いアパルトマンに住んでいて、本人にも理由はよく解らないながらもオーストリア大使館のレセプションの招待状が届いたり。でも仕事らしきはしていない。そしてあるときバスルームが快適なことに気付いて、そこに椅子や書物を持ち込み、服を着たままバスタブの中で日がな読書をしたりして過ごすようになる。アパルトマンには画廊勤めらしい美しい恋人エドモンドソン(グニラ・カールセン)と二人で暮らしている。ほとんど会話らしき会話もないけれど、彼女も表面的には不満はなさそう。もうそういう生活が当たり前とでも言うのか。で突然服を脱ぎ始めて「ねえ、今しましょ」って言い出したり、彼女は「ボク」を愛しているようだ。アパルトマンの内装は白で、画面は白く飛ばしたハイキートーンの白黒映像。そんな不思議な静かな世界にいつの間にか見えいる自分は引き込まれている。

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一種の引きこもりと言って間違いではないのだけれど、外と好んで交流しようとしないだけだ。最初の方で母親が訪ねてきて、やはり浴室のバスタブの中で迎えるのだけれど、いわゆるマザコンというようなことではなく、やはり心理的には甘えに近いものがあるかも知れない。恋人エドモンドソンとの関係にしてもそうだけれど、自分がしたいことだけをして、あとはしようとしない。二人が朝まだベッドにいるときにベルが鳴るのだけれど、玄関に出ようとはしない。彼女がそうしたいなら「ボクもお伴をするよ」と言う。いつも自分が何かをするのではなく彼女のすることの「お伴」をするのだ。バスタブというのは周囲を囲まれた籠りの空間であり、まら直線や角などのない曲線に囲まれた空間だ。2人は入れないから自分一人だけの親密な籠り場所。もちろん子宮へのアナロジーもあるだろう。

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そんな生活なのだが、エドモンドソンが画廊で知り合ったのか、彼女に台所のペイントを頼まれたと称した2人のポーランド人画家がやってくる。そのなんとも気遣いのない傍若無人なふるまいに生活のリズムを乱されたボクはある日一人パリ・リヨン駅から南に向かう。イタリアらしいある町のホテルでの独り暮らしを始める。やがてそこがヴェネチアであることがわかるのだけれど、彼は美術館にも街並にも興味はない。ホテルに籠ってロビーのテレビでサッカー中継を見たり、部屋でダーツをしたり、読書をしたりの日々。何日かしてエドモンドソンが恋しくなり、ヴェネチアにいると電報を打つ。やがて彼女からかかってくる電話を毎日待つ日々となる。毎日電話で彼女の声を身近に感じることが必要なのだ。やがてヴェネチアにやってくるエドモンドソン。彼女はヴェネチア訪問で美術館やらムラーノ島を観光したりするのだけれど、ボクは最初は彼女につき合っているものの、やがて疲れて一人ホテルに帰ってしまう。ボクの求めるのは彼女の存在を側に感じていることであり、彼女と何かをすることではない。



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こんな映画だからと言って、小難しいわけではない。感じることの一つは、人々が普段当たり前と思って行動していることに対する疑問のようなものだ。そして妙にコミカルであったりもする。ボクはある本の一節を英語で朗読する。エドモンドソンは「それ誰?」と尋ねると、「パスカルだ」とボクが答える。フランス人がフランス人にフランスの思想家の本の英語訳を読んで聞かせていたのだ。あるいは笑ったのは、パジャマのシーンだ。エドモンドソンが風呂から裸で出てくると、ボクは既に寝室のベッドにいた。エドモンドソンはボクのパジャマのズボンを見つけ、「ズボンはかなかったのね」と言って、ボクのパジャマのズボンをはいてベッドのボクの横に入る。ボクは毛布の下だから上半身しか見えないが、彼女がはいたパジャマのズボンのシャツの方を着ている。ベッドに入った彼女は毛布を持ち上げてボクの下半身部分を覗きこむのだ。

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ヴェネチアでのその後の出来事と、またパリに戻ってからの部分は書かないでおく。そう言えば映画中程でボクは夜中に一人でライターの火の明かりを頼りにホテルの中をさまよい、そして最後に運河べりに出る。白基調の映画の中で唯一黒が基調のシーンだ。ボクの髪型が短い髪をきっちりとなで付けたものであることは引用写真からもわかると思うが、痩せた体型といい、その姿はベルイマン映画のマックス・フォン・シドーをちょっと思わせるのだけれど、このライターの火でホテルをさまよう映像は、ベルイマンの 『狼の時刻』 の明らかな引用ないしオマージュではないだろうか?。

SALLEdeBAIN5.jpg




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Last updated  2008.06.19 00:27:27
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