ラッコの映画生活

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2008.06.14
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カテゴリ: ヨーロッパ映画
AMOR OMNIE, BREAKING THE WAVES

159min
(DISCASにてレンタル)

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いやいや、本当にエミリー・ワトソンが熱演&名演で、もの凄い映画(良い映画?)になってます。話は実に単純で、DVDジャケットの解説程度でラストまで解ってしまう物語なので、 ネタバレを含みますが 、まず簡単にストーリーを書いてしまいます。1970年代のスコットランドの海岸地方の寒村。長老教会が人々を支配する保守的で排他的な村。散文的に言ってしまえば境界性人格障害の主人公ベス(エミリー・ワトソン)。この人物設定が巧い。普通の女性では、ここまで敬虔で、無垢でピュア過ぎる人物ベスは非現実的になってしまう。彼女は沖合いにある海底油田掘削プラットフォームで働く他所者ヤン(ステラン・スカルスガルド)と結婚する。信仰、あるいは霊的信念のである「愛」、その精神的産物である「愛」に対して、ベスには「実体」のある愛の対象ヤンを与えられたわけだ。このことはこれから展開されるだろう波瀾を既に予想させる。

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休暇が終われば当然ヤンはまた海上プラットフォームに戻るわけで、次の休暇までは長らく帰って来ない。ベスにはそれが耐えられない。数年前に兄が死んだとき、精神バランスを崩して入院している彼女だ。ベスは教会でヤンを早く返してくれと神に祈った。すると突然ヤンが戻ってくる。しかし油田の事故でヤンは全身不随となっていた。祈りが通じたと彼女は考えるわけだが、それは彼女の祈りのせいでヤンが事故にあい、寝たきりの姿で戻ってくることもその祈りのせいだと思うわけだ。病室でヤンはベスに願った。自分は生きたいと思うが、その力を与えてくれるのはベスとの愛の行為の記憶だ。愛人をみつけてそのセックスの様子を語って聞かせてくれ、と。彼女にとっては苦痛であったが、神が与えた試練だと思って彼女は実践する。彼女にはそれがヤンを回復させたように思えた。そして娼婦になり・・、と彼女の行動はエスカレートしていく。もちろん村の人々に知れることとなり、彼女は教会を破門され、母親も見離すしかなかった。教会に否定されては村で真っ当に生きることは出来ない。子供たちは「売女、売女っ!」と言って彼女に石を投げた。

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彼女の期待に反してヤンの状態が悪化した。自分の行いが足りないと思った彼女は、他の娼婦たちが行きたがらない荒くれ者の船、一度行って逃げ帰ってきた船に再び向かう。そしてそこで暴行を受けた彼女は、瀕死の状態で病院に担ぎ込まれる。同じ病院のヤンの容態が良くなっていないことを見て、ベスは自分が間違っていたと失意のなか息を引きとる。しかし数日後、杖を使って歩けるほどにヤンは奇跡的に回復していた。教会は破門者の葬儀をすることを禁じ、長老たちは地獄に落ちるべき人としてベスを埋葬する。しかし棺の中は空だった。ヤンと仲間たちがこっそり彼女の遺体を抜き出していた。そしてプラットフォームに運ぶと、彼女を水葬にした。すると天からカリオンの響きが高らかに聞こえてきた。鐘は必要ないと鐘のない村の教会だったが、それはベスが好きだと言っていた鐘、天の鐘の響きだった。

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この映画を見て2つの作品を連想した。1つはベルイマンの映画『処女の泉』、もう1つはワーグナーのオペラ『タンホイザー』だ。ベルイマンと言うと「神の沈黙」、つまりは実質的神の不在ないし(少なくとも人々にとっての)非存在だが、『処女の泉』は少女の犠牲(それもこの映画と同じく性的暴行)と奇跡の物語で、ここでベルイマンは信仰に近付いていた。『タンホイザー』はワーグナーの好きな女性の自己犠牲による(世界や)男の魂の救済の物語。枯れ枝に若葉が茂り、タンホイザーの魂が救済されるという奇跡で幕を閉じる。『タンホイザー』で自己犠牲をするのはエリーザベト。英語にすればエリザベスで、この映画のベスと同じ名前だ。これは偶然ではなく、フォン・トリアーの意識には当然あったろう。そう考えると、純粋なベスの愛の物語、そしてプレスビタリアン教会やそれに象徴される社会の批判の映画ではあるのだけれど、同時にここで登場した善意の人々(ヤンを筆頭に、義姉ドド、医師リチャードソン、仲間テリー)の魂の救済の物語でもあるのだと思う。だから不幸な悲しい物語ではあるのだけれど、後味は清々しくもある。

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それにしてもエミリー・ワトソンの演技が凄い。主に目による表現だろうけれど、教会で神の言葉を代弁し、次に彼女自身に戻って神を見上げるように見つめる彼女の目。最初ヘレン・ボナム=カーターがこの役を演ずるはずだった。しかし性的なシーン故にボナム=カーターは辞退した。ヘレンのベスも見てみたかった気もするが、映画はもっと平板になっただろう。フォン・トリアーと言うとドグマ95だけれど、この純潔の誓いは、ハリウッド映画に対する批判であると同時に、役者の演技至上主義でもあると思う。フォン・トリアーはキッドマンにグレースを、ビョークにセルマを、ボナム=カーターにベスを演じさせたかった。彼の構想する映画の実現のためにキッドマンやビョークを撮るのではなく、キッドマンやビョークにグレースやセルマを演じさせることが最初にあるのだと思う。すべての演者にすべてが見えるという実験的手法で 『ドッグヴィル』 を撮ったことの意味はそこにもある。物語の人物を演じさせることで、役者を物語に巻き込み、役者の人間を表出させたいのだ。ベン・ギャザラはそれにウンザリしたのだろうし(もう決してフォン・トリアーの映画には出ないと言っている)、ボナム=カーターはそれを予期して辞退したのかも知れない。撮影中のフォン・トリアーとビョークの反目の原因も実はここにあったのだと思う。

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Last updated  2008.06.25 23:32:33
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