ラッコの映画生活

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2008.09.13
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カテゴリ: アメリカ映画
FACTORY GIRL

91min(1 : 1.85、英語)
(桜坂劇場 ホールCにて)

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桜坂劇場という映画館(あるいは同館のプログラム・ディレクター真喜屋力氏)は、いわゆる何何特集というのではなくても、何気同時期に関連作品の上映をする。例えば同時期に取り上げられた 『レディ・チャタレー』 『JOHNEN 定の愛』 も、男女の性愛を描いた作品であることとチャタレー裁判・愛のコリーダ裁判という文脈で関連性を感じる。そしてトッド・ヘインズの 『アイム・ノット・ゼア』 がボブ・ディランを描いた作品で、イーディー・セジウィックにあたるであろう人物ココも出ていたので、その関連でセジウィックのいわば伝記映画であるこの『ファクトリー・ガール』も選ばれたのだろう。

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ファクトリー というのはアンディ・ウォーホルが1963年NYマンハッタン47番街に開いたスタジオで、当時の自由な、革新的な、あるいはアンダーグラウンドの思想家やアーティスト、そうウォーホル・スーパースターと呼ばれる人たちののたまり場であり、パーティー場であり、映画撮影やウォーホルの作品の制作アトリエでもあった。画学生だったイーディー・セジウィックは画家になるためにニューヨークに出てきたが、そこでウォーホルと出会い、2人は急速に接近し、彼女はウォーホルのミューズとなり、やがて彼女の美貌やセンスや雰囲気から、一躍時代のミューズともなっていた。そんな彼女だがボブ・ディラン(映画ではビリー)と親密になるとだんだんにウォーホルとの関係は悪化していく。その後ディランの熱も冷え、ビリーは別の女性と電撃結婚することで彼女を見捨てる。彼女はドラッグに溺れる日々となり入院。落ちぶれて家族のいるカリフォルニアに戻り、そこで精神病院に入院し、そこで出会った男性ポストと結婚しドラッグをやめようとするが、結局オーバードーズで28才の生涯を閉じた。

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イーディーは物凄く有名なセジウィック家の出身。セジウィック家は17世紀以来のマサチューセッツの名家で、先祖は州の有名・大物人物も多い。彼女の父親はカリフォルニアの農場主でもあり、イーディーもそこで生まれた。父親は博愛主義の慈善事業家でもあったが、子供には異常に厳格で、恐らく父権主義の権化のような人でもあったようだ。8人兄弟の彼女の兄2人は若くして自殺している。そしてイーディーも拒食症、鬱病等で入院している。そんな彼女は本当の愛を欲して孤独だった。ウォーホルも少年時代は神経衰弱で、母親との関係も異常であり、コンプレックスの固まりだ。こんな2人が近付くのは当然のことだった。虚弱で、サングラスをかけていることからも想像できるように自信を持てないウォーホルにとって、家柄も良くお金もあり、美しく輝くようなイーディーは自己を同化させるアルターエゴのようなものだったのだろう。彼女は言い様によっては、異常な父親によって健全な精神的成長を阻まれた。しかし映画は彼女の28才の短い人生を、そんな過去の境遇でことさら説明しようとしないのはいい。ウォーホルやビリー、そして時代にもてあそばれたのかも知れない。ウォーホルもビリーも彼女がもう必要でなくなったとき、いとも簡単に彼女を使い捨てにした。彼女は恐らく自分の自分たる所以を知っていた。しかしどうしようもできなかった。そこに彼女の孤独があったと言ってよいだろう。彼女は言う。誰でもない自分の責任。でも後悔している、と。

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彼女は生まれ、家庭、生い立ち、時代、美貌、センス、プライド・・・等々、そういうものすべてによって生きる(あるいは生活する、あるいは生存する、あるいは生き抜く)能力を欠いた人間になっていたのだろう。彼女は絵を学んでいて画家志望だったけれど、実際に画家になることはなかった。彼女は女優であったけれど、映画の中で「ただ君自身であればよい」とウォーホルに言われるように、演技の努力は必要なかった。『ヴォーグ』誌等のモデルであったのもしかり。色々なファッションセンスにしても努力して悩み、考えて創出したものではなく、彼女の持てるセンスをそのまま表現したに過ぎない。取り巻きが近付いてくるのも、彼女の美貌やオーラゆえであり、誰も知らない者のいないセジウィック家という名門の名でもあった。家からの仕送りがあり、ウォーホルにとっては映画に出演させてもギャラを払う必要はない便利な存在でもあった。常に家からのこの経済的支えがあったから自分でお金を稼いで生きるという能力をも欠いていた。その額は彼女にとって不足だったかも知れないが、庶民的常識で言えばかなりの高額だったろう。なぜにそれで不足だったかと言えば、たぶん愛に飢えた孤独な彼女は、お金を使うことで人に気に入られようとしたのだ。それは表面的には孤独を忘れる一種の麻薬であったろうが、ウォーホルやビリーに捨てられ、また時代にも捨てられ、やがて実際の麻薬中毒にはまっていく。

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予告編で見たときのシエナ・ミラー(イーディー役)はいまいちと思ったが、実際に映画を見たらとても良かった。ミラー自身親の離婚等家庭はやや複雑で、また一方で親は金持ちであり、その辺の雰囲気はイーディー役には適任だったのかも知れない。期待薄でとりあえず見に行ったのだけれど、なかなか上質な作品だった。イーディーという人物、それをごくごく薄めて薄めてみると、自分の中に同じようなものがあるのを感じ、その意味で痛くも感動的な映画だった。

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Last updated  2008.09.15 16:34:44
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