13回小菅正夫園長

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旭山動物園。

もう、殆どの方が何度も足を運んでおられると思います。

すごいですよね。

ペンギン館、アザラシ館、ホッキョクグマ館、そしてオランウータン館や空中運動場。

いままで、どちらかというと、脇役的と一般には考えられていた動物達が今はもう堂々の主役です。

彼らがいきいきと生活している様子は感動的ですらあります。

そんな旭山動物園は、昨年7・8月の月間入場者数で東京の上野動物園を抜き去り全国1位へ。

年間でも140万人以上を動員。

もう、皆さんすっかりしっかりご存知のはず。

でも、ホリウチが小菅園長をお客づくりでご紹介させて頂きたいと思ったのは、それだけが理由ではありません。

94年のエキノコックスによる途中閉園、96年の最低入場者記録の更新と、旭川市からも見放されそうになっていた本当の大ピンチ。

ちょうどその狭間の95年に小菅園長は就任されます。

そして、存続か撤退か、お金もなく、市の支援もない一番苦しいところから、およそ10年の歳月をかけていまや世界的な施設へと変貌を遂げました。

プレッシャーやストレスの中で、小菅園長はどのような未来像を描き、スタッフをまとめ、苦境を乗越えていったのでしょうか。 

動物園の意味や役割をどのように考えておられたのでしょうか。

一番苦しい時には、虫取り網を片手に自ら山へ昆虫を取りに行ったりされてたことも・・・・。

お客さんを楽しませるためにそれくらい必死に頑張っておられたんですね。

園長って凄くダンディーで、柔道やレスリングの達人で並の人間じゃない雰囲気が漂っているんですよ。

だけど、ただ1つ、走るのだけはあんまり得意じゃなさそうなんです。

その園長が、一生懸命、汗を流して山を駆け回る姿にはさすがに目頭が熱くなってしまいました。

その姿なくして旭山動物園の現在の輝きはありえないと確信。  

これはもう、絶対、お客づくりに来て欲しいと思いました。

明日の見えない苦境の中で、園長をそこまで熱くさせたものは一体なんだったのでしょうか。


その答えはここに。



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