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2006.05.11
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カテゴリ:
種をテーマにすると確かにアクセス増えますね。ってことで種考察続き。


ガンダムSEEDにおける「妄想が現実を凌駕する」状況は、続編・ガンダムSEEDDESTINYにおいてさらに顕著になる。

最もそれがよく現れているのが、死者の扱いだ。
・死亡したはずの人間が生存しており、しかも都合の良い時に帰ってきてくれる(例・ムゥ。敵として現れるならともかく……)
・自分にとって都合の悪い人間(=現実の厳しさを突きつけてくる人物)は絶対に生き返らず、記憶からも消え悲しむこともない(例・フレイ)
・生存していても、自分にとって都合の悪い人間は決して自分の前には現れない(例・サイ)


死んだはずの人間が生き返る。まさに究極の妄想だ。


さらに、自分が二言三言なんか意味深っぽく聞こえる台詞を言うと、
意見を違えていたはずの友はあっさり自分に寝返り、

姉(カガリ)のコネのおかげもあっていつのまにか軍隊ひとつ率いる准将様になっちゃって、
自分を憎んでいたはずの復讐鬼やクローンはあっさり降伏する(シン、レイ)。

自分にとって都合の悪い人間は、自分の目に触れない場所で他人の手でひっそりと処分されていき(ユウナ、ジブリール)、
もし目に触れることがあっても絶対自分の手は汚れていない(ハイネ、ミーア、デュランダル、タリア、レイ。例外はシンの家族とステラだがそれも描写が曖昧)
信じられぬ速度であっという間に自分中心で世界が動く。まさに「世界が加速する」。
こんな世界を、私も何度か夢に見た。確か 小学校低学年ぐらいの時まで。


このように、無印種での妄想の波動はさらに圧倒的になり、キラとラクスはもはや人間ではなく、 「妄想生命体」 とでもいうべき存在となって友や仲間や敵までも、次から次へと自分のもとへ取り込んでいく。


特にムゥが生き返って記憶を取り戻したり、レイ(=クルーゼのクローン)があっさりキラに論破されたあたりは、前作において何とか保たれていた「現実に対する妄想の限界」の描写すら簡単に覆してしまった。
これが、福田監督がインタビューで述べていた処の「前作へのアンチテーゼ」なのだろうか? 一体何故、このような事態になったのか?


他のアニメ・漫画・小説・映画などでも似たような話はいくらでもあるが、現実を否応なく見せつけてきたガンダムという作品においてのこの展開は、もしかしたら画期的な試みと言えるのかも知れない。
本田透氏 の「電波男」を皮切りとして、「二次元で妄想していても、いいじゃないか!」という風潮が強くなっている。
格差社会だの負け犬だのパラサイトだのひきこもりだの恋愛市場主義だの、様々な用語が定義されたところで誰が救ってくれるわけでもない今の現実、まともに向かい合っていては精神も身体ももたない。
ならば、妄想の中で愛と勇気と力を夢見て、それを現実へと逆流させ、現実と妄想の折り合いをつけていこうじゃないか──
と、妄想を肯定する新たな考え方が出てきた時代に、ガンダムSEEDシリーズは生まれるべくして生まれた新たなガンダムであり、キラとラクスはその象徴たる存在なのかも知れない。
実際、作品中でラクスは「戦ってもいいのです」と言い放ち、キラは「花が吹き飛ばされたらまた植えればいい」と言っている。
「妄想してもいいのです」「妄想が吹き飛ばされても、また妄想すればいいじゃない」 とも解釈できる。
色々批判を浴びながらも種シリーズがあれだけの人気を保っていられる理由は、そのあたりにあるのかも知れない。メディア操作だけでは説明がつかないと私は考えている。
尤も、監督・脚本家をはじめとするスタッフがこのような意図を込めて作品を創っていたのかというと、大いに疑わしいと言わざるを得ないが。



Zガンダムにおいて、「地下にモビルスーツがあるぐらい言ってください!」とのカツの台詞がある。この台詞は当然、カツの子供ならではの妄想として描かれたはずだったが、種運命においては その妄想が実現してしまう。
このシーンはまさに「妄想が現実を圧倒するガンダム」を分かりやすく示したとも言える。その瞬間からキラとラクスが妄想生命体として世界に解き放たれるのは皮肉だ。



が、種シリーズにおいて最大の問題は、妄想が現実を呑み込んだまま肥大しきってしまった点にあり、いかにして「妄想をしつつ現実と対処していくか」の視点がまるまる抜け落ちていることだ。


またしても長くなったので続きはまた今度……汗






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Last updated  2006.05.11 22:20:34
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