シアトルからこんにちは

シアトルからこんにちは

2002年12月前半の日記


クリスマス・ウインドー・ショッピング
昨日はシアトルのダウンタウンにクリスマス・ウインドー・ショッピングにお友達2人と行った。

今年は不景気で、うちの家族は皆金欠病なので、クリスマスプレゼントを交換するのはやめて、どこかに一緒にいくことにした。

恒例の買い物をしなくてもいいので気が楽だ。私は人のために買うのが苦手。特にうちの娘達は、難しい。

孫は別。あっちを見てもこっちを向いても買いたい物ばかり。一生懸命自己抑制して見るだけ。


そういえば先日、99セントのお店(雑貨や)にいったときのこと。
プラスチックのゴルフクラブとボールがあった。
イーサンはゴルフが大好きで普段私のゴルフクラブを使っているが長すぎてスイングが難しい。

プラスチックのクラブをみつけて大喜びのイーサンは、おじいちゃんに、甘い声で、「Can you buy this for me?」という。

パパは、あっさり、「NO」という。

すると、全然へこたれず、「May be, Gaga」と言いながら私のところに来て、クリットした茶色の目をむけて「Buy this, please」という。

「うー。Yesといおうか?」いや甘やかしてはいけないと散々言われているし、第一彼の部屋にはたくさんおもちゃがあるし、クリスマスが間近。

心を鬼にして、「No,Ethan」という。(心の中で泣いている)

わめくかなとおもったら、「Maybe next time.」とさっさとあきらめている。珍しいこともあるものだ。

家に帰って両親に早速報告。

ふふふ、クリスマスがたのしみだね。あと11日待てば、ゴルフクラブもらえるかもしれないよ。



ダウンタウンはすっかりクリスマス気分で楽しかった。

神戸屋というところで、ランチスペシャルを食べた。うどんと、寿司とサラダのセットで8ドル。なかなか大量。日本レストランもアメリカで経営する時には大量出さないとお客さん来ないよね。

この後、パシフィックプレースに行って、JCrew,Carier, Tiffanyとファンシーなお店を観て歩いた。

こういうとき、日本人の顔をしていると、接待がいい。といっても私は観光客のように良い格好をしていないので、お金を持ってないと直ぐ見分けられるかもしれないが、たまには美しい宝石でも見るのも目の保養にいいと思ってぷらぷら観て回った。

その後ノードストロムのカフェでお茶飲んで、なんだか若い頃に戻ったような気持ちになった。

5時ごろ、この2人と別れて、シアトルのお友達の家に行った。彼女は日本に住んだことがある人でNHK衛星をとっている。武田鉄矢が歌ってた。

なつかしーい。

すっかりおじさんになっちゃったね。

(そういう私もすっかりおば(あ)さんになりました。)

2人で近くに最近できた日本レストランに行った。今私の家はキッチンの床をやりなおしているので、家具を全てガレージにつめこんでいる状態です。

冷蔵庫が玄関においてある。お友達は私が家で料理が出来ないことを知っているので、夕食に誘ってくれたのだ。

クイーンアンにある「おとうとすし」。東京を思い出すようなモダンなお店。白と黒と赤の組合わせがとてもドラマチック。

このお友達は日本語ぺらぺらなので、色々日本語で話した。隣は全部アメリカ人だったので、秘密のこともしゃべった。

周りに日本語わかる人がいたりして..(どきっ)

何にも買わなかったけど、なんとなく贅沢気分の一日でした。




12月 14日 土曜日 のち
自分を好きになることを習得する
昨日の日記でジョイス・マイヤーのメッセージが好評だったので第二弾をどうぞ。

ところで、アドレス間違ってましたね。ご指摘ありがとうございました。

http://www.joycemeyer.net/cgi-bin/msc.cgi

あなたは、「自分の行動」と、「自分が一体誰であるか」は別であることを知っていますか?

私は、正しいことを常にしないけれども、だからといってそれは、「自分が誰であるか。」には影響ないのです。

自分が愛されていることを知っているし、いい人間です。人生において、私は間違ったことをしたし、確かに、将来も間違ったことをするでしょうでしょう。けれども私は自分が好きです。

もし、あなたが自分を好きだとしたら、他の誰があなたのことを好きでなくても、大丈夫です。自分を好きになったとき、他の人たちもあなたのことが好きになります。あなた自身を好きになるということはプライドの塊になることではありません。それは、自分のことを、「神様がこのように創造してくださった。」と信じるという意味です。

自分の行動を変えることも必要です。
けれども、自分を神様の創造物として受け入れることは、
感情的に健康な人になるためのプロセスのなかで大切です。

もし、私たちが、この1つを習得したら、---「自分を好きになること」、「恥」に基づいた性質から打ち勝つことができる大きな手助けとなります。

多くの人は、いわゆる「失敗の呪い」の下敷きになっています。

自分がしようと思うのに出来ません。
いつも失敗したりがっかりして落ち込んでいます。

「恥の文化」をとりいれたので自分のことが嫌いなのです。

長い間、私は、自分の性格が嫌いでした。「性格=自分自身」だからです。

自分が嫌いでした。こんなに大胆で、ストレートでありたくありませんでした。直接的で、はっきりしていたくなかったのです。

ある友達のようになりたかったのです。とても甘くて親切でやさしい賜物を持った方でした。私が気付かなかったのは、彼女はそのように生まれ、私はそのように生まれませんでした。
私は自分の性格が嫌い、つまり自分自身が嫌いでした。ですから自分を変える努力をしました。友達みたいになりたかったのです。トマトを栽培したり、缶詰を作ったり、ジェリーを作ったり、家族の服を縫うような理想的な妻/母になりたかったのです。

でもダメでした。それは四角い穴に丸い木をおしつめるようなものでした。自分ではない人になろうとしていただけです。
ついに私は自分をそのまま受け入れ、他の人になろうとすることを止めました。自分の人生のある部分を変える必要はあるけれどでも自分が誰であるかを、決して変える必要がないのです。

私のように「恥に基づいた性質」であるとき、それは、色々な複雑な内なる問題の根源となります。例えばうつ病、孤独、隔離、などこれら多くの病気は「恥」に基づいています。麻薬、アルコール、化学中毒、摂食障害、拒食、ブリミヤ、肥満、お金の中毒、けち、ギャンブリン、性的変態などリストはえんえんと続きます。

例えば、仕事中毒は、現代社会の中で非常に破壊的な病気です。仕事中毒の人は、決して人生をエンジョイすることは出来ません。彼らは、夜も昼も働いていないと、自分が無責任だと感じます
事実、私がそうだったようにもし自分が楽しんでいたら、罪悪感を感じるのです。

破壊的な病気のもう1つの例は、完璧症です。
虐待や否定的な環境のため、彼らは、完璧にしないと、否定された、注意や愛情を受けようとした完璧症の方がおられます。

これらの病気を持った人々は、失敗のためにお膳立てしているようなものです。彼らは、自分に、無茶で高い基準をたて、そして、彼らが究極的に失敗するとき、自己嫌悪に陥ります。不可能なスケジュールをたて、周りの人を惨めにします。というのは常に急いでいるからです

仕事中毒と完璧症は自分を好きになることが出来なかった人のたった2例です。以前した何かによって、恥を感じ、自分のことが嫌いになったのです。

覚えて置いてください。「自分の行い」と「自分が誰であるか。」を区別ししてください。あなたはユニークで特別な個人です。神様はあなたに賜物や技術を与えてくださり、例え、あなたが、過去にミスを犯したとしても、今は前に進んでいく自分を好きになる時なのです。
1. 12/17 11:42 12/17に読んでいます。この日わたしも(ピリピ3:13-14)(2コリント 5:17)を示され、聖日もその為に祈りました。励まされます(^ー^)ジョイ♪



12月 13日 金曜日 のち
自分であることに成功する方法
きのう、はちこさんがJoyce Meyerの「Battlefield of the mind」を読んでいると仰ったので、早速、Joyceのウエブサイトに行ってみた。オンラインで、彼女の説教が聴ける。とってもパワフルな説教だ。

http://www.jmministries.org/

ウエブサイトの中に「自分であることに成功する方法」があったので、これを皆さんにクリスマスプレゼントして捧げます。

1.決して自分に対する否定的なことは言わない。例えば、「私は何をしてもだめだ。」とか「顔が可愛くない。」とかいろいろ。

何故なら、マタイ書12:37によると、自分の言う言葉によって裁かれるからです。自分が言う言葉によって、自分に対してどう思っているかが表れてしまうのです。

2.自分に関する否定的なことを熟考しない。

箴言23章7節によると、人間は心の中で考えるとそのとおりになるのです。

3.良い点を自分に言いかける。

例えば、運転中に、「私は、神様から受け入れられ愛されているんだ。」と言ったり、鏡に向かって、「貴方は私の目に高価である。」と言う。

4. 人と自分を決して比べない。

神様は、バラエテイを好むので、いろんな人がいる。それぞれ指紋まで違う。他の人のようになろうとすると自分であることに成功しない。他の人は、良い例かもしれないが、それでも、真似をしたら、あなたのパーソナリテイの中で異なる結果をおよぼす。

5.自分の短所ではなく、自分の可能性に集中する。

ヘレン・ヘイズは素晴らしい女優だったが、キャリア当初、「彼女が4インチ高かったら、すばらしい女優になるのに...」と言われた。
彼女はたったの、5フィートだった。(150cmくらいかな?)
演技コーチは色々な方法で、身長を伸ばそうとしたが、何をしても、変わらなかった。ヘレンは自分が五フィートである制限に焦点をおかず、可能性に焦点をおいた。

その結果、ヘレンはスコットランドの女王メリー役を演じた。この人は歴史上最も背の高い女王の1人だ。

6.なにか自分の好きなことのなかから、上手にできることを選んで、何度もする。もし、下手なことをしたら、欲求不満になって、敗者のような気持ちになるだけなので。

7.人と異なっていいという勇気をもつこと。人を喜ばせるのではなく、神様を喜ばせよう。

ガラテヤ人への手紙1:10

8.批判に、対処できるよう慣れなさい。もし、違うことをしたら必ず誰かから、批判される。心の中で、神様が別な方向に導いてくださっているのに、群集と同じことをしたら、自分であることに成功しない。
心の中で正しいと思っているのに、そうしないと、自分らしくあることに成功しない。

9.人の自分への扱い方によって、自分の価値を決めない。

10.自分の短所を、過大評価しない。

自信を持っている人にも弱点はあるが、ただ、自信のある人は長所に焦点を当てているだけだ。



もし、自分のことが嫌いなら人生をエンジョイすることは出来ません。


神様はあなたを愛しておられます。

あなたは彼の目に高価で尊い方です。

メリー・クリスマス!
1. 12/13 21:36 クリスマスの良いプレゼントありがとう。受け取りました。純
2. 12/13 22:37 URLは、http://www.jmministries.org/ が正解じゃないですか? 私はあんまり読めないんですけど。 純
3. 12/13 22:37 ごめんなさい。URLは、http://www.jmministries.com/です。
4. 12/14 02:53 生きていると「自分であることに成功する方法」を実際にたどっていくのは難しい一面もあると思うんですが、だからこそこのプレゼントは素敵です。ほそのひでとも
5. 12/14 09:29 素敵なプレゼントに感謝します。じゅんぽろさんの日記から来ました。眠らせてるれなかった娘にも感謝(^ー^)ジョイ♪



12月 12日 木曜日 のち
クリスマスレター
ヨハネによる福音書 / 17章 22節
あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。


私が、渡米して初めて出来た親友Pamからクリスマスレターが届いた。懐かしいな。

彼女に会ったのは、新婚当時だ。同じアパートで、彼女達が2階で私と主人は一階に住んでいた。

或る日、彼女の家に行くと彼女が泣いていた。「どうしたの?」ときくと、(私はてっきり夫婦喧嘩をしたと思い込んでいた。)
涙を拭きながら、「主人が出張で2日いなくなるから寂しくなる。」と言った。
腰抜けするほど驚いた。

この体験は新婚の私に強い印象を残した。
こういう人のことを「良い奥さん。」というんだと瞬間思った。

今でもご主人が出張するとき泣いてるかな?(今度会ったら聞いてみよう。:))

現在ケンザス州に住んでいる。2人娘は私達が知り合った頃の年になった。時のたつのは早い。ママに似てとっても明るそうな娘さんの写真が入っていた。

Pamは、オーラル・ロバーツ大学で看護学を勉強した看護士だった。「病院で働くたびに、患者さんが、彼女に恋をするので、婚約者だった彼は急いで指輪を買った。」という話を聴いたことがある。

会った瞬間、なんともいえない甘~く、おっとりした、平安を感じさせる人だ。クリスチャンホームで育ったなんともいえない香りを持った人。(じゅんぽろりんさんみたいに目がきらきらしてた。)


彼女と私には共通点が何にもなかった。性格は全く正反対。食べ物の趣味も興味も違っていた。

ところが、神さまは彼女に私に対する重荷を与えてくださった。1週間1回、会って一緒に話したり祈ったりした。
「Bill Gotherd」のセミナーについて教えてくれたのも彼女だった。

正反対なのに、霊的に私達は1つだった。

又会いたいな。
全然変わってないだろうな...

郵便箱で見つけた、クリスマスレターによって私の心に、暖かい灯が灯った。



12月 11日 水曜日 のち
老夫婦
エペソ5:31

それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、二人は一心同体となる。



ゆうべおばあちゃんのグループに行ったら、いつもにこにこしているSさんが暗い顔をしていた。どうやら、ご主人とうまくいってないらしい。

歳をとって、奥さんは更年期障害だんなさんはテストステロンが減って、うつのようになり、あるいは、高血圧、糖尿などの成人病をかかえ、お互い弱くなる。

若い頃と違った意味で相手が大切になるとき、不和とは、なんて感しいことだろう。

よく街中で老夫婦が手をつないで歩くのをみるとき、ほほえましくなって私は「あんな夫婦になりたいな。」と思う。

それを実現化することがいかに難しいことであるのか、夫婦円満で健康な親をもった私には想像もつかなかった。

泣きながら、悩みをわかちあうSさんの話をききながら、結婚には段階があるんだなと思った。

ハネムーンの段階
子育ての段階
 幼年期
 青年期
 独立
空の巣の段階と。

ある意味で一周まわって戻る感じ。

Sさんはとても信仰の強いクリスチャンなので絶対に離婚はしないという基盤で話をしているがご主人はクリスチャンでないので、その可能性もなきにしもあらずだ。ワシントン州はNo-fault divorceという法律があって、何の理由もなく別れることができる。

夫婦のどちらか1人が別れたいといったらそれで離婚だ。いとも簡単にできる。

空の巣は、結婚生活でもっとも厳しい時期かもしれないと思った。

神様Sさんに励ましと慰めを与えてください。
お互いを今一番必要としているときです。

どうか貴方の愛で包んで、傷を癒してください。

主に不可能なことはない。




12月 10日 火曜日 のち
子供のいないクリスマス
マタイによる福音書5章4節

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。


きのう、「Compassionate Friends」子供をなくした悲しみのサポートグループが墓地でキャンドルサービスをした。去年16歳の娘さんを喘息で失ったSさんが出席したいけど、夜の運転が怖いというので、「じゃ私が連れて行ってあげる。」と言ったのに、待ち合わせの場所を勘違いして、とうとう、行けなかった。
1人で、娘さんの葬られている教会を訪ねて家に帰ったそうだ。

「悪かったな。」と思ったので、夕べはSさんのためにいつもより祈った。


このキャンドルサービスは、この辺で子供を失った人が毎年一回墓地に集まって、メモリアルサービスをするものだ。
200人あまり集まったと、翌日聞いた。


子供がいるとクリスマスの喜びは倍増する。家全体を飾って、クリスマスツリーにはプレゼントがだんだん増えていく。

待ちに待って、やっと、クリスマスの朝がくる。

クリスマスツリーの下にあるプレゼントを一つ一つ期待一杯で開ける...

子供達が幼い頃、主人が、徹夜でいろんなものを組み立てたものだ。アメリカは何でも自分で組み立てるようになっていて、自転車まで、組み立てた。朝の4時ごろまでかけて、説明書とにらめっこ。やっと終わったと思ったら、3時間後、娘達が、「メリークリスマス!」と叫んで、わざわざ私達を起こしに来る。

子供あってのクリスマス...

ところがその子供が天国に行ってしまったらクリスマスなんて、一体何が楽しいのだろう?

それでなくてもクリスマスの時期は鬱が上昇し、自殺が増えると聞く。町がデコレーションやライトにぎわい、テレビでクリスマススペシャルがあったり、ラジオから楽しそうな歌声が聞こえてくる。

みんなが幸せそうに見えるとき、自分だけがみじめなきもちになりがちだというのに、愛する子供を亡くした親は一体どんな気持ちでクリスマスを迎えるのだろう?


確かにクリスチャンなのだから、天国に行って、楽しくやっているとは思っても、もう一度でいいから、一目でもいいから会いたいと思う。

「天国ってどんなとこ?」って聞いてみたいだろう。


子供を亡くした親ごさんのために

聖霊様が慰めを与えてくださいますように心から祈っています。


12月 9日 月曜日 のち
感情
コロサイの信徒への手紙 / 3章 8節
今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。
互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。
そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。



きのうは友達とダウンタウンに行って、おいしいベトナム料理
Pho(フォ)ヌードルを食べた。私はこのヌードルが大好きで、じゅんぽろりんさん達が来られたときも一緒に食べに行った。(懐かしいな...)

その後Creative Memoriesをやっている友達のホームパーテイに行ってアルバム作りのためにシールなどを買って、そこを出た。

そのあとインターナショナル地区のコーヒー屋さんに行った。昔銭湯があったホテルが、今はコーヒー屋に改造されているところで、日系人の歴史を感じる。

ふとメニューを見ると抹茶ラテがあるじゃないの。

3月日本に帰ったとき、抹茶ラテが横浜のスタバにあるのに感激して、アメリカに帰ってスタバにリクエストを出したが、まだ受け入れられてない。(いったい何を持ってマッチャラテというのかも知らないのかもしれないね。うすい玄米茶でラテ作ってもおいしくないからね。)

「きゃー。抹茶ラテがインターナショナル地区にはあったんだ...」とこんな小さなことで大喜び。私もかなり単純。


「感情」ってちょっとしたことで起伏するものだな...と思う。

UWの大学教授John Gottmanが書いた「Relationship rescue」という本を夕べちょっと読んでいると、「あなたの感情の遺伝性」を知りなさい。と書いてあった。



なるほどね...

告白になるけど私は聖霊のバプテズマを受ける前、すごく短気だった。私の性格は「怒りっぽい」と言う表現がぴったりだった。

クリスチャンになって一番変わった点はこれだと思う。

或る日突然主によって変えられた。

「感情」って不思議だ。

昔こんなつまらないことでいちいち腹を立てていたのかと思うようなことに対して、一生懸命腹を立てていた。こういうのを「若気の至り」とでも言うのだろうか。

なんていうか私が定規をかざして、それにあわないものは裁いていた。理想主義だったのかもしれない。

クリスチャンになってからは友達も、おっとりした人が増えた。
亡くなった親友は、「人生は白黒でなく、グレーだから...」といつも言っておいた。彼女が怒った顔を一度も見たことがない。

主人もとても穏やかな人だ。一度も声を上げたことはない。




長女の短気さを見ながら昔の私を鏡の中で見ているような気がすることがある...
DNAのせいかと思うほど、私の若い頃に似ている。(スンマセン)

そんなに眉を吊り上げなくても、いいのよ。

主が、全てを益にしてくださるのだから。

唯毎日感謝しながら、生活をエンジョイすればいいのよ。

娘は私の言うことを聞いてくれないのでせめてこれを読んでくれる人に言いたい。

怒ったら血圧が上がって自分がいやな思いをするだけ。

腹が立ったら、「ハレルヤ!」と大きな声で叫んで、賛美歌を歌うか口笛を吹きましょう。

主は私達とともにいてくださるのだから。



12月 8日 日曜日 のち
クリスマスパーテイの時期
いまごろはちこさんはシカゴで講演なさっているんだろうな...主が彼女に霊と力を与えてくださるように。と祈りながらこの日記を書いている。

昨日の日記は、娘と口喧嘩して、クリスマスパーテイに出かける直前書いたので、かなり絶望的になっていたな。仕事関係のパーテイだったのだけど、私は家で仕事をしているので、めったに他の人に会わない。シアトル周辺でハイテクの仕事をしている人たちは皆dress downで有名なのに、ついうっかり忘れて、主人は背広を着ていった。なんと背広は彼だけだった。他の人は皆ジーパンとかキャキーパンツだった。主人はちょっと恥ずかしそうだった。たまにはそんなこともあるでしょ。(奥様不注意でした...)

クリスマス・パーテイはマーサーアイランドにある見事な景色の新築の家であった。子供達のためのプログラムまで用意されていた。中世の騎士になって、演劇をしたりいろいろあった。

やっぱりホリデイは子供がいるから楽しいんだなとつくづく思う。


きょうはクリスマスクラフト会だ。クリスマスには一年中会わなかった人と会う時期だ。

今年を振り返って、人と会うチャンスが少なかったと思う。

来年はもう少し社交的になろうかな?コンピューターの前でバーチャルな人生をおくっているのも考えものかもしれない。

実際私はイーメイルで話すほうが、面と向かって話すより好きになってしまった...(わー。おたくっぽい。)

人間ってここまで変わるものなのかしら...


今日もイエス様が教えてくださったように祈ります

父よ、御名があがめられますように
御国が来ますように
私達の日ごとの糧を毎日お与え下さい
私達の罪をお赦し下さい
私達も私達に負い目のあるものをみな赦します
私達を試みに会わせないで下さい。

主があなたと共におられますように
----------------------------------------------------------------------12月 7日 土曜日 のち
prodigal son
「Footprints of a Pilgram」 by Ruth Grahamを読んでいる。
ビリーグラームは世界で最高数の人に宣教したことで有名な立派な説教者だが、この本を読みながら、彼の仕事より、5人の子供が神の子となるように育てたルースの仕事のほうが何倍も難しかったのだろうなと感じる。

というのはビリーグラムは旅行が多くて、子育てはほとんど奥さん任せだったそうだ。

彼女の日記のあちらこちらに、「主よ、子育ては難しすぎて出来ません。」とある。

なんだかほっとした。

子育ては難しい...

圧倒されるのは私だけじゃなかったのだ...

アメリカでは、18歳までが親の責任で、その後、子供は独立する。親の役目は、少しずつ、自分の仕事を減らしていくことだと、本で読んでいたが、実際には、親の仕事は、ただ形が変わるだけで、終わらないということが最近わかった。

親の最も大切な役割は、子供のために祈ることだ。

子供は親の祈りを一生必要としているのだから。

子供にとって、親は、精神的にも霊的にも頼りなのだ。

親の仕事は死ぬまで終わらない...

多くの人がご存知かもしれないがビリーグラムの息子フランクリンは、神から離れていた年数が長かった。麻薬など色々な形の反抗のため両親は心を痛めた。

ビリーとルースは、祈りに祈った。

ルースが書いた著書の中に「Prodigals and those who love him」を読んで涙涙だったのを覚えている。

神の御言葉を教えたのにもかかわらず、子供がその道を選ばず、罪をおかして、その結果を体験するのを見ている親は身が切られるほど辛い。

でも、それがいずれ主に戻るきっかけとなるなら、それも、大切な試練なのかもしれないが...

子供が、迷っているときも主を信じて、いつか必ず主の手に戻されると信じる。

でも、悪魔は、私達に耳にささやく。(もうダメだよ。この子はこのまま主のところには戻らないかもしれない。)そんな時絶望的になって祈る元気がなくなるときもある。

ルース・グラームもそんな気持ちを主にぶつけていたんだ...



主を信じよう。

「あなたとあなたの家族を救ってくださる。」と聖書に書いてあるのだから...



12月 6日 金曜日 のち
人はそれぞれ異なった賜物をもっている
ローマの信徒への手紙 / 12章 4節
というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、
わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、
勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。




結婚生活の最大の敵は、親とパートナーをつい比べてしまうことだと思う。

自分の罪の告白になるが、私は、結婚した当初、主人と自分の父を比べ、文句をよく言った。

私の父は几帳面な人だ。トーストを食べていて、一粒でもテーブルにパンのかけらを落としたら、さっと拭くような人だ。兄弟5人の4番目で、幼い頃軍人だったお父さんを戦争でなくし、お母さんを助け、小さい弟のめんどうをみたり、小間使いさせられたそうだ。

あの年代では珍しいほど家事をよく手伝ってくれた。家はともかせぎだったせいか、先に家に帰って、母が帰る前にご飯をたいておいてくれ、母がかえったらおかずを作るというシステムになっていた。

結婚した直後、私は主人が片付けるのが苦手と知ってびっくりしたのを覚えている。

男の人はみんな父のように掃除好きだと思っていたのに...

感謝なことに長年の共同生活の末、主人は、かなり片付けてくれるようになった。

自分のだんなを自分の父と比べて悪かったなと反省している。

私は主人と結婚したので父と結婚したのではない。主人には主人の賜物がある。人それぞれ違う。

娘が、自分の夫に対して不満をもっているようだ。「私の主人は、お父さんほど、センシテイブでない。」という。

なんだか自分の若い頃を見ているみたい。歴史は繰り返すというが...

「でもね、貴方のだんなはまだ若いから...もうすこし、年取ったら成長するよ。」といいそうになって口を閉ざす。ここでアドバイスしたら怒るだけ...

だまって、祈る。

「神さま、なるべく早めに、娘が、お父さんとだんなはまったく別の人物であることを受け入れ、神様が与えてくださったご主人に感謝できるようになりますように...」



12月 5日 木曜日 のち
健康
きのう、心の病と闘っている人のHPを読んでいたら、うつになりやすい性格を羅列されていた。

なんと、私の性格そのままだった。

「ガーン!」ショック

考え方に柔軟性がなくて、全てが白黒で、「~すべき」と考える、その他いろいろ...

私は、遺伝的に「うつ」になりやすい性格だったんだ。(イヤーな気もち。)

精神病の多くは、人を赦せないことが原因になっていることが多いそうだ。

健康のために「人を赦す決意をする。」いつまでも、昔起こったいやなことを覚えておかない。良いことだけを覚えておきましょう。

例えていうと、赦せない人の数だけのジャガイモを袋に入れて毎日担いでみよう。1人赦せなければ一個のジャガイモ。2人赦せなければ2個のジャガイモを袋に入れて四六時中担いでみよう。何をするにも邪魔でしょうがない。気が散ってしまう。その上
重たくて、つかれてしまう。じゃ、そんないらないもの捨てればいいのにと思うが、なんとなく、長年持って歩いたジャガイモとの別れが惜しい。

http://www.quickinspirations.com/redirect.asp?l=3373&u=26508097&c=2368&t=1

いやなこと、人に言われて気分を害したこと。そんなもの捨ててしまいましょう。歳を取るごとに担いでいるジャガイモがだんだん重くなっていくような人生はしんどいだけ。

足ふみ軽く、全てをイエス様に委ねて赦しましょう。

毎朝、デイボーションを読むことによって、自分の考えではなく、神様の考えに置き換えてもらう。

私は肉体の健康志向なので、なるべく体に良いものを食べるように気をつけている。そうしたら、外にあるvirusとか、汚染とか、細菌に対して、自分の体が闘っていける。

精神的な面でも、神の御言葉で自分を満たして、外にある、破壊的な考え方、自己中心の惨めになるような考え方に対して、闘っていける。

神様ありがとう

1. 12/05 18:26 そうですね!心の中の悪い思い、悲しかったこと、えいって投げて身軽になろう♪はるみ



12月 4日 水曜日 のち
宣教
コリントの信徒への手紙一 / 2章 4節
わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。


わたしはどうも、デイベートが苦手だ。先日も大学で比較宗教を勉強している人と、キリスト教について話していたが、結局、彼女は、人それぞれに真理がある。というなんとも現代的な考え方で、私の信仰は、経験に基づいてもので、これは私にとっての真実であり、彼女には彼女の真実がある。と言う。

うまく説明できなくていらいらし始めた私は、最後に、「貴方と天国で会いたいだけよ。」といって会話を終えた。



失敗したと落胆していた私は今日のデイボーションに、励まされた。

これによると、ポールの宣教は、知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明によるものだったと書かれている。

あんな議論は無駄だったのかもしれない...(がっかり)

霊と力の証明だよね...

「宣教する。」と肩をいからず、イエスを褒め称えよう。

イエスを上げれば聖霊様がその人を引き込んでくださる。

私が何もかしこまることはない。

その人を受け入れて、その人のニーズに合わせて愛を分かち合おう。

言葉じゃないんだ...


どうか彼女が神様の愛を感じますように...



12月 3日 火曜日 のち
あなたがたも愛によって歩みなさい。
エフェソの信徒への手紙 / 5章 1節
あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。
キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。


今日は、孫の世話。

2歳と8ヶ月で、オムツがちょっとでもぬれると直ぐ変えて欲しいという。「この子はトイレットトレーニングできる時期だな。」と思って主人とTargetに下着を買いに行った。

ドレにしようか?「Bob The builder」と「Buzz the light year」 と「Thomas the train」 のなかから、トイストーリーの「Buzz the light year」がいいというので、 4歳用(2歳なんだけどすごく大きいんです。)の男の子のパンツを買った。

別のセクションでパーテイ用にクッキーやホーンなども買った。
先日楽天日記に書いた方法でするのだが、わざわざおしっこするお人形さんを買うのもどうかなと思ったので、下着とパーテイで済ませることにした。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazukor/diaryold/20021109/

家に帰ってじゃんじゃんアップルジュースを飲ませる。オムツをとって、下着をはかせる。ときどき、「wanna go to potty?」と聞いてみる。

最初なんだかとまどっているのかなと思うと、あーあ。その場にしてしまった。

失敗は無視。

またジュースを上げて遊ぶ。
5分もしないとき、ちょうど娘が仕事から帰ってきた。

私がトイレットトレーニングを始めたことにちょっとカチンと来たらしいが、まあ、付き合ってくれる。

「wanna go to potty?」

というと、「うん。」という。
連れて行くと、見事に立って、ことをなした。

私と娘と主人はパーテイの帽子をかぶってホーンやタンバリンを鳴らし、大喜びする。

孫はもう、嬉しくてたまらない。

続けて5回もおしっこした。

そのたび、3人でわいわいと騒ぎながら喜んだ。

一日でトイレットトレーニング出来そうだ。

それにしてもおしっこしただけでこんなに喜んでくれるとはね...

と私が寂しそうに言った。

すると、私がトイレから出てきたとき、主人がラッパを鳴らしながら「good job!」と褒めてくれた。

嬉しかった。

1. 12/03 11:46 素晴らしいご主人です!かずこさんは幸せです! junporo



12月 2日 月曜日 のち
信仰
「Praying god’will for your life」を読みつづけている

「信仰の章」から

Fifteen charactereistics of Faith

1.信仰は、選択です

2.信仰は、従うことです

3.信仰は、霊的な運動です

4.信仰は、神を御言葉でによって信じることです

5.信仰は、神に「はい」ということ

6.信仰は、全てにイエスをみつけること

7.信仰は、決して望みを失わないと信じること。

8.信仰は、私達を環境からあげてくれること

9.信仰は、神から何にもかくさないこと

10.信仰はたとえ、したくなくても、従うこと。

11.信仰は私達が神の言葉を読むとき、神から受ける賜物です。

12.信仰は全てがうまくいくと知っていることです。

13.信仰は、私達の制限からの出口です

14.信仰は、希望の母です

15.信仰は平和への道です。


1.Faith is a choice

2.Faith is a step of obedience.

3.Faith is a spiritual exercise.

4.Faith is taking God at His word.

5.Faith is saying yest to God.

6.Faith is looking to Jesus for everything.

7.Faith is knowing we are never without hope.

8.Faith is what lifts us out of our circumstances.

9.Faith is not holiding anything back from God.

10. Faith is being obedient even if we don’t feel like it.

11. Faith is a gift from god as we read His Word.

12. Faith is knowing that everything will work out.

13. Faith is a way out of our limitaitons.

14. FAith is the mother of hope.

15. Faith the road to peace.

読んでいて、なるほど、どおりで、聖書に、若いうちに創造主をしりなさい。とか子供のような信仰をもちなさいとかかいてあるんだなと思う。

どうも歳をかさねてくると、明渡して、信じるのが難しくなってくるような気がする。

そんな時聖書を読みましょう。

なぜなら、

ローマの信徒への手紙 / 10章 17節
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。


主よ、信仰を与えてください。あなたの御言葉に、「主は悲しむものを慰めてくださる。」とあります。

いま娘は心を痛めています。どうぞ、聖霊様の慰めが与えられますように。

全てが益となることを信じ、感謝します。

アーメン



12月 1日 日曜日 のち
Great is thy faithfulness
:詩編 / 95編 1節
主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
御前に進み、感謝をささげ/楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
主は大いなる神/すべての神を超えて大いなる王。
深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。
海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。



朝おきたとき、なんとなく悲しかった。祝日後の疲れが残っていたのかもしれない。

今読みかけている「Praying God’s will for your life」 by Stormie Omartian  の11章を開いた。

Stormieが結婚して主婦生活が始まってまもなく、「家事ができません。主人はいつも働いて寂しいです。仕事もできないし、私の精神的な起伏も主人の感情のゆれなどあまりに激しくて、扱えません。」と泣きながら主にすがった。心の中で主人や結婚生活に対してこんな感情をもつことにたいしてさえ罪悪感を感じながら...

すると主が「あなたの力でやろうとしているからですよ。試練の中で私を賛美しなさい。あとは私がするから」。と仰った。
Stormieは、「ありがとう神さま、それくらいなら私にも出来ます。」と答えた。


ここで、ふっと、わたしの肩の荷がおりた。
いろいろ家族のこと、仕事のこと、人間関係のことで重荷を負っている私は、主を賛美するのをわすれていたんだ。(感謝祭の2日後というのに、わすれっぽいね...)




賛美の力はすごい。

主を褒め称えよう。

主に感謝
私の罪のために十字架にかかってくださってありがとう。
そして死を超え復活された。

聖霊様は私の中に在住してくださっている。

ハレルヤ




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