ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.01.27
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・小説は、物語の内容が確定するより分からない方が良い、分かってしまうと面白くない。

・「うつせみ」と「十三夜」の共通点は、男ふたりに女ひとりの三角関係。

・「うつせみ」は、「狂った女」が、モチーフ。自殺した男の記述が曖昧で狂った理由が書かれていないのでぼやけてしまっている。
一葉は、ここでは「狂気」を描ききれていないために、長文であるが観念的で類型的な内容にとどまってしまった。

・それに比較して「にごりえ」の菊井のお力は違う。具体的でインパクトがある。短文でしかも説得力のある表現がされている。お力は七歳の時、極貧の中でお遣いの帰途大切なお米を溝泥に落としてしまう。それは、幼いお力に取って身投げをしたいと思うくらいの切なさであり、私はその頃から「気が狂うた」のでござんす。と言わせている。

・文章を多く書いた方が優れているとは限らない、寧ろ多く書くことにより
切れがなくなり文章が駄目になってしまう。

・「にごりえ」は、世の中は「濁り濁り」していることから来ている。



・カフカ「変身」も狂気である。ゴッホやモーツアルトやニチェも同じ。

・「うつせみ」の一葉は、狂気を扱ったが、狂気に気付いていないために長文にしたが描き切れていない作品と言えるが、兆候はある。

・「うつせみ」は、寧ろ「周辺の人間への影響」がテーマだという説もある。

・「文学と狂気」は切り離せない。三島・太宰・川端など自殺した。

・一葉も狂気がある。そして晩年そのことに気付いている。20代で気付いたことは、才気を示し凄いことだ。

・「十三夜」は、父の存在は世間であり、当時の常識者である。離縁によって、子や弟への影響を諭している。お関が「変身」すれば、子や弟も影響があることをお関は気付かされて離縁を諦めるが、リアルを体現している一葉はお関に寧ろ同情してはいない。お関のいう「鬼の良人」とは、はたしてそうなのだろうか。ワザと「鬼」という抽象的な一言にしていること。

・お関が、子を連れて来なかった背景には男子相続がある。お関は男の子を
産む為に嫁入りしたのだから、子を連れて実家には帰れない。時代性ある。

・録之助は、ここではお関の目で書かれている。自分が結婚したために落ちぶれたと思っているが、そのお関が、別れ際に小銭を渡そうとする。録之助は思い出にしますという。お関は、世間知らずである。

・お関は、男に恥を掻かせても気付かない。併し一葉は、録之助の気持ちが分かって書いている。

・お関の思い込みがある。「・・・阿関は振り返って録之助を見やるに、何を思ふか茫然とせし顔つき、時たま逢いし阿関に向つて左のみは嬉しき様子も見えざりき。」




一葉は、貧乏に苦しみ庶民の苦しみを舐めた作家であり、その心を描こうと

した作家である。芸術家は、寧ろ狂気の中で天才を表現するものであろうか。

次回は2月10日「にごりえ」だ。


>写真は、今日、大学の構内で見つけた梅花です。もう3部咲きです。





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最終更新日  2006.01.28 06:39:23
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