ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.10.27
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前向きのひとは、経済の原則がはっきりしており、どんどん先に行こうとする。だから「何がゴミか」の思考が遅れてしまう。自分がゴミかさえ分からなくなってしまう。ゴミの側から考えるという視点が欠落しがちだ。


宮沢賢治は、生命連鎖の行き先は「死」だという。みんな死ぬしかない。間引きの考えがある。減数分裂だ。これは、ゴミと同じように、死体の側から人間を見ることをいっている。


ひとの未来は、希望だけではなく、絶望もある。例えば臓器の側から臓器移植を考えるという、そういう立場の「変換」を絶えずやるしか仕方がないだろう。つまり「成長の限界」が、若者たちをシラケさせている。


「つまらなく」させているのは、自分たちの未来に待っているものが「ゴミ」や「死」であるからでもある。それはファイトの湧く話ではない。ただ、そうした戦略を地上の生命は取ってきたのはは紛れもない事実であろう。


やはり、一寸先は闇であった方がいいのかも知れない。併し、「何がゴミか」考える必要は在るだろう。



  歴史は知っている。ヴェトナム人は、確かにアメリカ人をゴミにしたことがある。



>母なるメコン







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最終更新日  2006.10.27 06:52:08
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