ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2007.03.28
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 昨夜はいつもより1時間くらい早く寝ましたので、3時には目が覚めました。この暖かさは何でしょうか。「オイ、 起きろよ!」と友人に起こされたような気分になります。未だ鼻風邪ですが、頭痛はなくなりつつあるようです。さて、今朝は、・・・とキッチンの椅子に座っていますが、天井の蛍光灯が切れてしまいました。寿命らしい。どうせなら昨夜切れてくれば妻子がショッピングモールに出かけていたのでと、・・・。


 読みかけの「江青の真実」を懲りずに読んでいます。「周総理、江青の不正を制する」の箇所まできました。まるで江青は、針小棒大する、どこかの我儘なお姫様のように書かれている。これは元秘書が書いているので身近な私的な側面でしょうが、とは言っても党中央の幹部であることには変わりはないのですから、或る意味で公人であり、しかも周囲の職員たちは党中央から派遣された優秀な人たちでもあるのでしょう。


 多少オーバーに書かれているとしても江青はやはりアブノーマルなのでしょう。些細なことでことを荒立て職員たちを侮辱してばかり・・・。まるで茶番劇ですが、つぎつぎに反革命分子にされてしまう。江青のところの党支部で書記をつとめるのは非常に難しい役回りだったようです。どこにでも暴君はいますけれど、江青は残虐でサデステックですらあるようです。勿論この本によればですが・・・。何せ著者自身も反革命分子にされているので怨みつらみが書いてあります。そういうとこを加味しても、そのことを周恩来や党中央の幹部たちは知っていたということが、伏線にある。


 太い糸だと思っていても、その時々で細くもなるし、自業自得もあるということでしょうか。この社会で何が重要かを決めるのは自分だということを忘れてはならない。それは蜘蛛の糸ではないかも知れない。勿論、・・・ではない。単なるひゆでしかないが、ある真実を語ってもいるでしょう。


 「比喩」は、この社会の真実を知る重要なポイントでもあります。「聖書」は、比喩で書かれている。だから読者の解釈次第でどうにでも解釈できるのです。要は自分の解釈力でもある。マザー・テレサの残したことばも比喩でしかない。「愛を求めるよりも、愛を与えなさい」もどれだけ深く理解できるかでしょう。彼女は、自分の行動で、自分の信仰する神のアガペを伝えようと努めたのに違いない。だからバチカンも支持し、支援もしたのでしょう。ノーベル平和賞も彼女にとっては真の栄誉でも勲章でもない。


 朝からの時間は、あっという間に朝陽をつれてきます。






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最終更新日  2007.03.29 05:19:27
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