ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2007.05.29
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



 何でも好きにできそうだから「自由」ではない。そんな自由権などない。近代憲法で保障される自由のことだ。国家権力によっても個人の自由を侵害されぬという自由をいう。それこそ多くの英雄たちによって、血で勝ち取ったものだ。だからこそ、風通しの良いところで政治は行わねばならない。松岡利勝農水相の自殺のもたらす波紋は小さくはないだろう。


 自殺する自由もあるだろう。しかし政治家にはどうだろうか。それで責任を果たしたと言えるのか。世間から当選したら誰でも「先生」と呼ばれ大きな権限をもち、時には総理大臣にもなりえる。まして松岡氏は現役の閣僚であった。選挙民の付託を受けているだけではない。国民の付託をも受けている人ではないか。それが個人の存念で勝手に自殺するというのはどうだろうか。勿論同情論もあるだろうが正直理解できない。出所進退を明らかにする人が政治家になるのではなかっただろうか。

 宗教があるかなしかの問題ではない。政治理念の問題だ。澱んでくるのは風通しの悪さもあるだろう。どれだけの思想の持ち主であるのか開示しない政治家など、政治家ではない。評価のしようがないからだ。そういう訳のわからない政治家がいる間は政治は決して良くならないのではないか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.05.29 10:04:54
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: