ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2007.05.31
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



 もう現在は0時を回り、6月1日だ。眠くなるまでビールでも飲みながらPCに向かうことにした。私にとって何と緩やかな時間だろうか。それこそ経済的な価値ゼロの時間である。この世に価値のないものはないと哲学者は言うだろうか。しかし今日的市場経済では、経済的価値のないものは評価しない世界だろう。建前と本音は違うのだ。優れた学者たちがいたと思うが、それが評価されなくなっている。何故か。それはアメリカ的な価値観や、世界観で見るからだろう。日本にいる奴は、日本で研究する研究者なんてカスだと言うだろう。かび臭い木造建築の中で本の虫になっていて世界は見えないと思うのだろうか。それこそアメリカナイズされた思考でしかない。


 行ってみなければわからないものと、そうでないものがある。ことばも必要があれば覚えるだろう。そうでなければ自分のことばで考えればいい。自分で解ろうとしないものはいつまでたっても分る筈はないのだ。蟻がエベレスト登山を目指しても無理だろう。人間だって同じだ。エベレストに皆が登る必要がどこにあろうか。それぞれの山を目指せばいいだろう。セクト主義が一番自分のスペースと存在を狭くするだろう。私は、他人と競争はしたくない。喧嘩もしたくない。だがヒトと自然だけがすべてだとは思わないだけだ。


 次々と庭のあじさいが咲きはじめた。もともとここの土壌は岩場を切土したもので肥沃ではない。アジサイも何年も花が咲かなかったので諦めていたが、肥料をやり始めて去年ようやく数輪花をつけて感激した。そして今年は見違えるように咲き始めた。土壌を代えてやったからだろう。花は咲かないのではない。咲かせようとしないから咲かないだけだ。思うだけでは何もできないそのためになる前提条件を揃えなければならない。複雑系の社会でシンプルライフもないものだろう。それに見合った人間でなければならない。丁髷をして映画祭に行くバカがいる。その所業が嫌である。何の考えもない男が日本人の監督でそれを囃しあげるメディアが日本のメディアのレベルなのだろう。まともな批判さえできない現状でしかない。それを世界は嘲笑するだろう。


 日本人が汚染されていくのは外の環境ばかりではない。内面までもけだるい文化で毒されている。何故拒否しないのだろうか。腐った権威しか認めないようでは、この社会を読み解くことはできはしない。


>まだ今朝早かったのでフラッシュになり色合いが出ていません。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.06.01 01:04:04
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: