
ゲーテの生前も死後も、相愛の詩人マリアンネは思い出のハイデルベルクを度々訪れている。とくにハイデルベルクからネッカー川を数キロ遡ったノイブルクの旧修道院を好んだ。彼女の晩年、1850年頃にはドイツ鉄道で、フランクフルトから行くことができた。修道院は、1825年に友人の弁護士が買い取り、親しい人たちの安息所だった。1860年10月3日から5日にかけてノイブルクに滞在した。そしてハイデルベルク城を訪れた。
遠縁のエミーリーエ・ケルナー夫人が「ゲーテとズライカの原型」を書いている。
「小さな石門のそばで、マリアンネは立ちどまって、一人にさせてほしいと言った。彼女は庭に入っていったが、なかなか戻って来ないので、付き添いの私は心配になって、同じ門を通って中に入った。・・・人けのない緑の林の中に彼女は物思いにふけって立っていた。両手を合わせ、顔には涙があふれていた。そこで彼女は、この庭の中でゲーテは自分にキスをした、と語った。・・・城の中庭から出て、右にまがると、公園のみちばたにいちょうの木が立っています。彼女は、そこに立ちどまって、日傘でいちょうの葉をニ、三枚取ろうと試みて、<これが、ゲーテがあのとき、葉を一枚ちぎって、私にくださった木です。そしてあの詩を作って送ってくれたのです。>つまり、彼女が「西東詩篇」のズライカであることを明かしました。」
マリアンネについて「彼女は死に付いても、感傷的になることなく、間近に迫っている避けがたいできごととして語っていた。生に対する愛がいつも彼女の中に目ざめており、たえず彼女を若返らせた」とヘルマンも「ゲーテとズライカ」の終わりに記している。
ハイデルベルクからフランクフルトに帰り、その後二ヶ月、病気らしい病気もせず、死ぬ二日前にも夕方散歩したくらいだった。1860年12月6日マリアンネは、この世に別れを告げた。フランクフルトの中央墓地に埋葬された。その飾りもない鉄の十字架には、
「愛はやむことなし」(Die Liebe horet nimmer auf.)
>ネッカー川から遠景はハイデルベルク城