
「源氏物語」葉、或る意味底なし沼のようなものなのだろうか。それとも一端入ったら出て来れない原生林のような気さえする。どうも足が遠のいてしまう。ほんの一握りの上流貴族の物語でしかないフィクションでもある。高い評価もあれば、マイナーなものでしかないという見解もある。ただ庶民の暮らしとはかけ離れた世界であったことは事実だろう。それを研究している人たちが、意味がないというのではない。問題は何をテーマにして県教がされているか明確にされているかだろう。ことばの海に呑み込まれてはいないか。
文章は経国の大義にして不朽の慶事なり
・文学が政治と不可分だと考えられていた男性社会が長く存在し、女性が人間扱いされていなかった時代の文学が何の意味があるかという価値観の世界がある。男性社会が、男性が女性の立場で詩歌を創作したのだという事実に目をそらせるべきではない。女性の心情というものが、安易に扱われてもいたのだろう。
・へ2・・・「待つ女」などという言葉がねつ造されて、それに洗脳されてしまった女性たちの子孫がいるのではないだろうか。女性が美しくあらねばならない理由などないのだ。固定観念でものを考えているようでは、先はないと思う。明日歩けるだろうか。そんなことは明日に聴くしかない。そろそろ眠くなってきたが、まだ一日が終わった気がしない。