
ニーチェやボードレールのような偉大な著述家たちが、悲観論的で憂鬱な精神と結びついてポスト
モダニズムが「時代の兆し」を表白している。悲観論はもう遺物だろうか。悲壮ではあるが賢明な
る人びとが、穏やかなアイロニーで組成された懐疑論的で精神性を有しながら存在しているだろうか。
個人の感情に基づいた実在を認知しているが、連帯は他人と共感しあうものであるが、いまや「感
情移入」に変容されてしまっている。自己の情動は、その生の容をもつだろう。
幸福は、擬似コミュニケーションの世界のもとでの一種の孤立した系になってしまった。(吉田謙二より)
それこそ、世に溢れるサクセスストーリーを腹一杯に呑み込んでも空しいことでしかない。
その暇があるなら、生物学でも読んでいた方がましだろう。短い時間で得られるものは唯それだけでし
かない。だから、何ももたずに明日に向かうべきだろう。
(C.A.van ベールセン著 吉田謙二訳「ポストモダニズムを超えて」)