ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2009.09.28
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フロイスの「日本史」は、木戸氏は単なる二等資料だというが、歴史学的には一次史料としての価値が充分ある。つまり、文書として事件の発生に付随した記録・資料の価値を理解していたかどうかなのだろう。当時の文化人には、権力者の悪口は残しても、日記を残すことが、一次史料になるという観念がなかった。


遺構だけでなく、遺文も重要な史料であり、たとえ日記でも生の資料であれば充分一次史料になりえる。文化の蓄積とはそういうものではないだろうか。フロイスの残したものが日本人の歴史の役立つとは不思議なことである。西欧人と日本人の文化の差だろうか。


歴史は消えるものではない。悪いものを除去しようという考えは間違いだ。何でも「水に流す」というのでは、いつまでも不正が見抜けなくなってしまう。同じ過ちを繰り返すことに繋がる。日本人が、これから世界で生きていくためには、悪いことをすれば、「水に流す」ことはできないし、責任を取らされるということを肝に銘じなければならない。


たとえ「日記」であっても、それは個人のものでありながら、然も一次史料に耐えるものを残すべきではないだろうか。それが社会性をも具有しているものであるべきだ。





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最終更新日  2009.09.28 15:32:38
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