ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2009.11.30
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秀吉は、検地により石高制度をつくりあげて、農民から米の全生産高の3分2を取り上げ、3分1を生産者農民に渡すという租税制度をつくり上げた。彼は、その税収で自らとその一族の豪華絢爛の安土桃山文化を形成させ、朝鮮出兵という対外侵略によって浪費し、自滅した。

家康は、税率は秀吉と同じ年貢を取るが、それを城下町の建設や、交通網の整備、港湾、河川の建設に使用した。社会の経済基盤である耕地を拡大させて、その安定のための河川、用水路など整備に力を入れたのだ。

そして、過剰なインフラ整備を、時を見計らい社会投資を切り上げて、過重な税率を逆転させた。
寛文6年(1666)「山川掟」の発布が目度となる。

税率を、「七公三民」を、「三公七民」に改めた。


その結果は、庶民が手にした厖大な可処分所得は新しい消費をよび、多くの産業を拡大し、やがて元禄文化の大繁栄を招き入れた。


処で、中世ヨーロッパでは、音楽や絵画でもすべて領主を中心とするサロンが生み出した文化であるが、日本は町人(庶民)うみ出したものである。江戸時代の支配者(将軍も大名)も文化を生み出してはいない。その違いは、根本的には経済構造に由来するだろう。


しかし、やがて元禄のバブル崩壊を招いた。そのうえ新井白石の通貨量を減らすという失政で、酷いデフレに追い込まれる。その後吉宗によって、新しい産業を掘り起こすことにより立て直しに成功する。さらには、平成にもバブル崩壊が、人びとを苦しめることになる。






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最終更新日  2009.11.30 12:47:09
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