ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2011.03.29
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何度も繰り返しながら、その違いを感じなければ意味がない。何度「真剣さ」を言いながらも、その時々で意味も違うこと知らねばならない。同じであって同じではない。それだから「新鮮さ」も違う。真剣らしく書いても、真剣さが無い時がある。ことばだけで言行一致していない。自分でなければその「真剣さ」が違いが解からない。それを教えてくれるのが日々のモリタリングしている自己管理の数値だろう。自分を甘やかしてしまう利己的な遺伝子がある。


 ・聖書を甘く見てはならない。それは人間の長い歴史の智慧があるからだ。それは積み上げられ蓄積されたものだ。単なる個人のものではない。凡人はすぐに日常の中で真剣さや、新鮮さを見失う。リセットして、修正しなければそれこそ東北関東大震災の巨大津波の乗り越えてきた(過去の津波を前提に造られた)虚妄の堤防でしかない。狭い視野の学者のいうことを信じた報いでもあるだろう。


 ・へ2・・・50年前造られた原発を安易に利用していた側にも問題がある。初めて起きた原発事故ではない。過信がすべてを台無しにもする。東京電力はそのために瓦解しようとしている。それだけではない日本の原発の関係者も消される運命だ。そして政府も国民も失うものは小さくはない。ダムにできた亀裂は、致命傷にもなる。核を甘く見た証拠だからだ。





>海の中道 玄界灘と志賀島





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最終更新日  2011.03.30 03:54:42
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