ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2011.03.31
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 ・アユタヤは14世紀に開かれ、17世紀に全盛を誇ったアユタヤ王朝があり、日本人町もあった。(1355~1767)。その後トンブリ王朝、そしてチャクリ王朝(1782~)へと変遷した。タイは日本と同盟を結んでいたが、一方で連合国とも裏で通じていた。これが戦後の敗戦国の処理を免れ、国連の敵国条項に名を連ねることもなかった理由だ。大戦終結後、ラーマ8世は王宮内で殺された。真相は究明されないままだ。タイは国土の一部を割譲して列国の植民地化を回避している。国王ラーマ9世の外交のパワーが底辺になるのだろう。



 ・へ2・・・たとえ二重外交と言われようとも、国益のために中立を貫くのは、スイスなども同じではないだろうか。パワーがない国にはできないからだ。戦後も日本に対して友好的な交流を続けている。タイの経済と日本の経済が強い絆で結ばれてもいる。それも国王に対する国民の心情が深くかかわっているのだろう。そして、やはりそのなかでも貧富の差が問題でもあるのだろう。問題の所在が、現代における国民の宗教観がその根底にある。





>アユタヤ遺跡





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最終更新日  2011.03.31 19:06:04
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