
従士を率いていたのはたいてい国王や太守たちであったが、北欧では、従士団がこれらの者たちに独占されていたとはいえない。むしろ従士団への加入は自由意志に基づき、自由人男子であれば誰でも加入は可能だった。若者のなかには名声と資産を得る為に、信望ある従士団の首領の屋敷に行って、しばらくの間仕える者もいれば、高齢まで主君の屋敷にとどまる者もいた。
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王権の強化は、従士団の拡大を齎した。親衛隊として君主の宮廷で生活するものは一部に過ぎず、従士たちは自己の所領に居住した。このアルカイックな組織は、国王の支配権や国家構造の重要な構成要素となっていた。
フランク王国の建設は、ゲルマン人の民族移動の中で最も重要な出来事のひとつであった。ヨーロッパのその後の発展に影響を与えたからだ。ゲルマン人とローマ人の共存により、ゲルマン、ローマ末期、およびキリスト教に由来する制度、生活形態および理念の融合が招いた。フランクの従士制はゲルマン起源の要素のひとつである。
しばしば、奸計と暴力が行なわれた。国王は自分の競争相手の家来を唆し主君を裏切らせた、それが成功すると今度は、不忠な従士には贋物の金で十分だとした。
騙しのテクニックは、詐欺や強迫の類であり、それが人々を翻弄させた。他人を信用できない歴史的体質だ。西欧社会のそうした歴史が、彼らの複雑な人間関係を創り上げていったのではないだろうか。他人を信用しない体質でもある。