



ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」
にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。
私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利
己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター
トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らしている場所に出かけて、そこの人々と「長
時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生
活に、身を以て参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではない。
何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな
権利はない。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する。
学問自体を手段にしようとするからだ。
「三浦梅園は、凄いひとだ」と湯川秀樹のことばだ。大分の田舎で生涯を過し独自のコスモロ
ジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕籠を勧められたが固辞した。
「ひとが、ひとに背負われるものではない」。
という信念があった。