
・二つの目の向く方向で、悲喜劇もある。その時々で感じるものは、脳が作りだした自分の社会システムの構図で変わりもする。自分の生きてきた環境がこれまで生きてきた種としてのヒトのひとりの個人の1クールでしかない。生きるために懸命であった人々の中で自分の存在を探しても儚い。悔いても仕方がないし、威張ってもそれだけの気炎でしかない。
・へ2・・・4万kmを兎に角歩こうと思っている。そろそろ6年間ちかく掛かっている。ひとは何かに拘り続けているのだろう。そのひとつでもあるに過ぎない。ただ、これだけできるとは意外だ。自分の体の不思議を感じている。それは本当は不思議でもなんでもない。あるべくしてある因果関係でしかない。化学反応でしかないのは知っている。そして、生きるとは疲れることであり、快く疲れることが、更に新たなエネルギーを生み出し、生きるために必要だということだろう。