何のために長生きがしたいのだろうか。種としての「ヒト」に生きねばならない目的があるわけではない。人は自分でただ自分の一生を拘束しているのかも知れない。自分の世界観に拠っているだけかも知れない。たとえ、人並み以上の努力をしたからとして、明日が担保されるわけでもない。アクシデントがあればそれまでもある。美味い物をたらふく食べてさっさと、この世におさらばした方が好かったと思う人もいても可笑しくはない。だが、それではすまない。
・してみると、無駄な努力をしているのだろうか。何かを信じなければ生きていけないだろうか。生物は、生きるのに必死である。人間だけが自分で絶望して死ぬ動物だといわれる。何故死ななければならないのか。死にたくて死ぬのではない。遣り過ぎれば処断される。然しそれは普通のケースではない。どれだけ健康に留意しても、ひとは生きる条件を失えば死なねばならない。それがいつなのか、知ることさえできずにいる。
・へ2・・・何ものかであろうとしても、それは個人的な恣意的な解釈でしかない。寧ろ世に出られるものは少ない。多くの人は凡庸に一生を終わるだけである。理想は、単なる指標に過ぎない。どれだけ高い文化レベルを暮らしの中で維持できたからといって自分の心が冷えていては不幸でしかない。