ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2015.06.29
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・1906年(明治39年)9月6日から9日までで書き上げた。

・「中央公論」に発表された。

・圭さんと碌さん。

・漱石の体験。

・社界主義。

・フランス革命に刺激されて書いた。深い思いはないのではないか。

・漱石はどうして書いたか?

・意図的に書かない。

・身体的に閉じ込められた人間に関心がある。海老のようになる容に通じている。ポーズ。

・海老のようにある身体形態を書いている。母の胎内にいる子どものイメージ。

・昔は、自然と人間とは近かった。

・海老のようになっていた自分が、阿蘇の爆発になって出てくる。「二百二十日」の意味。

・牢獄に閉じ込められた人間の心理・・・漱石の共感。

・漱石の心理の原形がある。

・漱石は痛めつけられたような感じがある。

・欝屈したものが込められた作品である。それが爆発する。そういう意味では軽いものではない。

・兵児帯・・・西郷隆盛の連想。薩摩の強弓。縁語。俳句。

・レトリックに煎じこめている。

・漱石は西郷を敬愛している。

・読売から朝日に代わる時、池辺三山を信用した。西南の役に行きたかった。

・漱石は、負けた側についた。そういう印象がある。
・二都物語。
・破れて死んでいった人たちへの同情。
・頭を使って文明の革命をしたいという考えが漱石にはあった。
・姦通小説・・・何かを変えていく意志がある。
・この作品や「野分」などの時期の漱石の考えには、青年「二百二十日」と先生「野分」の側で書いている。熱っぽさがある。内の力がある。「虞美人草」のころとは違う。
・教師が嫌になっている。「坊ちゃん」。教師を辞めて文筆家になろうとしていた。
・高浜虚子の勧めがあって「坊ちゃん」を書いていた。漱石自身がマグマの心理状態のときに「二百二十日」「野分」を書いた。
・特徴・・・山登りして果たせず、もう一度登ろうとしている。最後の意味。そこからまたはじまる。
・「終りの始まり」。
・片付かない結末。
・「平民」と言った時には平民のがわに漱石自身は立っていない。
・えびすビールの箇所・・・ 落語の手法。半熟卵。
・小林信彦「小説世界のロビンソン」「うらなり」
・小説の裏読み。
・泉鏡花も使っている。
・ユーモアを入れている。講談本。
・革命だけではない。
・平民側の教養をつかう。落語レベルで書いている。
・漱石の体験。村鍛冶屋、豆腐屋、お寺、を使う。かんかんという寺の鐘の音。
・豆腐屋・・・おからを食べて偉くなった。荻生徂徠。
・気違い豆腐屋・・・差別語になる。
・鏡を見てあばたがみえる。なるほど醜いと認める。漱石もあばたがあった。
・狂人扱いされた経験がある。主人公の設定がされている。
・文明の革命の意味…具体的にはよく分からない。金権に対する不満。世相に対する批評をしているか。
・世の中に抱いている不満のレベルでしかない。それほど深いものではない。
・漱石は社会主義者ではない。
・仁王像・・・漱石の写生。運慶の仁王像。失敗作と思っている。
・「夢十夜」鎌倉と明治の比較。鎌倉の魂がある。明治にはそれがない。魂が入っていない。漱石はそう思っている。完成途中。
・圭さん・・・仁王に准えている。仁王のようなことを考えている。青白きではない。
・二人旅。「ににたび」。「行人」までつづく。落語の手法が取り入れてある。
・獄中日記。気がかりだが教えてくれない。そこから知りたいのに教えてくれない。
・この先どうなるか。その後釈放されている。どうということのない結末になる。前後は意味がない。漱石は、閉じ込められた人間に関心があった。件だけを引用している。
・「二都物語」・・・後世に託す。これからを見よ。最後は処刑される。
・倫敦塔に閉じ込められた人の心理。
・漱石は、10月9日(別紙)あり。二人の人物の感想を書いている。
・場面、場面で考える。原因が問題ではない。漱石はその方向に向いている。
・碌さんが最後に降参しているのは可笑しい(虚子の意見)。時間がない。
・根が深くない。余裕のあるところ。滑稽がすぎると虚子が言っている。
・普通の小説とは違うと言っている。虚子への手紙。
・「破戒」が、漱石の余裕を刺激した。
・高見から見ている部分がある。
・敗北のプロセスを書いている。「坊ちゃん」「吾輩は猫である」。父や兄と争う。社会に向かっている。代助。社会の描き方が変わっている。草枕から「草枕」から脱皮の過程として、「二百二十日」がある。
・虚子の意見が正論ではないか。
・「三四郎」のころまでは好きだという人がいる。先生も同じとのこと。
・この作品は、どうということのない小説のようだが、却って、二人旅の印象が残る。漱石の狙いが当たっている。記憶に残るようなものが小説としては優れている。







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最終更新日  2015.06.29 22:40:36
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