ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2015.10.30
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 農民を百姓ととっていっていた。「水呑み百姓」とも、「三反百姓」とも、貧しい農民の代名詞だった。そして小作人は過酷な人生を生きていかなければならなかった。長塚節「土」は、そうした暮らしの小説でもある。祖母が、「一粒のコメにもお百姓さんの汗と涙が込められている」とよくいっていた。腰が曲がり、祖母の足の爪が鋏では切れなかった。農作業に耐えた爪だった。

 ・何が幸せなのだろうかと思う。懐かしい故郷の里山を歩いている若いころの自分をイメージする。美しい秋の渓谷をのんびりと下っていくような気分だろうか。欲望に執着せず、心が和やかなときの気持ちだろうか。何も起こらない無事が一番だと昔の老人たちが言っていた。欲を深くするから不幸になるとも。

 ・へ2・・・未だ、「科学」を手に入れて、せいぜい100年でしかない。未だ何も知らない赤ん坊の知識でしかないのだろう。地球の生物たちの寿命を圧縮しようとしているのではなかろうか。「あと10年」と思い悔いのない晩年にしたい。秋になってしみじみ思う。






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最終更新日  2015.10.30 23:50:07
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