
歴史的理性の覚醒は、神話を正面の相手とし、ロゴスとミュトスがある。統一的神話そのものが歴史的理性の所産である側面があることを忘れがちである。神話は、象徴的出来事を報告し、命名し、その起源を物語る。記述であり、確定であり、説明である。くりかえされ、暗誦され、編集され、神話となる。世界は、神話の中で、神の思召し、あるいは約束として、人間の支配にゆだねられる世界にかわる。これこそ、ミメシス的呪術からの大きなジャンプである。
ヨーロッパにおける市民的理性は、そもそも出現のときから、自然支配的性格の刻印を自分にきざんでいる。人間は、自然を支配する過程を通じて、自然の一環としての自己を、自己によって支配された自然から疎外させないわけには行かない。人間の自己疎外の原過程は、自然からの根源的自己疎外であり、自己確立と自己疎外の弁証法的過程である。
歴史的理性は、その発端において、進歩と疎外の弁証法的モイラ Moira を背負っている。
理性は、神話からすべての材料をうけとりながら、神話をやぶるために、この材料を逆用しようとし、逆に、神話の呪縛におちこむ危険をはらんでいることだ。つまりヨーロッパの形而上学が自然と人間の永遠的秩序を規定する為に使用した根本的カテゴリーの重要な部分が、統一的神話をルーツとしているという事実である。