ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2016.07.31
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自分のキャパを考えると、脳とともに萎縮しそうにもなるが、しないことにはわからないと思っている。真剣に生きているものには、相手の真剣さが解かる。だから真剣でないと腹も立てる。ゆえに、政治家に下らない人が選ばれるのも腹が立つ。


 ・自分が病気したから、病人の気持ちが解かるのだろう。到底医者のように他人事では済まされない。「痛いでしょう」といわれれば「ハイ」と答えるしかない。「苦しいでしょう」も「ハイ」か「いいえ」でしかない。「どうして欲しいですか?」訊かない医師は、医師ではない。自分の足で、山道を歩いてみなければ湧かないものがある。女でないものが子どもを持つ気持ちは分からない。わからいということが解かっているのと、それさえ分からないものとの差があるだけだ。歩いてみて自分の老化が解かる。呼吸をして新鮮な空気を吸えば、汚れた空気の中で暮らしている事がよくわかる。


 ・へ2・・・自分が知ろうとしているのではなく、寧ろその逆だということを知るためには、やはり経験を積まなければならなかった。つまり誰にも「棚ボタ」はないし、「鴨がネギ背負って」飛んでは来ない。人間という二足歩行を獲得した動物が、自分の人生のジオ小道を歩いて行くだけだろう。誰も来ない自分だけの人生がある。それに立ち向かわねばならない。








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最終更新日  2016.07.31 23:09:54
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