怪我をして知る痛みもあり、病気をして、健康の有難さ解ったり、戦争になって平和の尊さが解かるのかもしれない。自分がなってみないと解からないことがある。頭で解かっていると思っていてもその場にいなければ理解できないことさえある。善意と悪意というのは法の世界では、知っているか、どうかだ。知らないが善意で、知ってすることが悪意になる。
・善意無過失というのは法で保護されるが、それが一般の庶民のことでもある。何も知らないことが好いことなのだろう。「倚らしむべし知らしむべからず」がある。善意の庶民を奨励している。一人で自由に生きることや独立独歩をあまり勧めてはいない。寧ろ自己犠牲が美徳とされていた。上の人たちが目下のものに野蛮な行為をする陰湿ないじめの土壌がある。
・へ2・・・トラウマを受けたものが、その被害者が加害者の立場になると逆転してしまうことがあるという。大人が大人になりきれない環境が確かにある。それこそ危険な賭けをしたがる企業の社員は、不幸だ。それは国家でもある。皆でやれば怖くないばかりではなく、皆でやれば怖いこともある。