
尭の人徳は高い。尭が亡くなり、三年の喪があけると、舜は天子の位を尭の子の丹朱に譲ろうとし
たが、諸侯は皆舜を支持した。そこで舜は「天なるかな」と言って、天子の位に就いた。
このように天子が世襲しないで、有徳者に平和的に位を譲りわたすことを「禅譲」という。
孔子は、「大なるかな、尭の君たるや。ギギ乎として、唯だ天を大なりと為す。唯だ尭のみ之に則
る」言う。(「論語」)
尭は、民の声を聞くためにお忍びで老人の歌うのを聞く。
日出而作
日入而息
穿井而飲
耕田而食
帝力何有於我哉
尭の治世が、為政者による統治を人民に意識させないものであったことを示している。
中国では、天子は、世襲ではない。人徳者がなれば、理想的であったが中々そうは行かなかっ
た。そこが、人間が、如何に厄介な生き物であるかであろう。