ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2017.03.31
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 そろそろ中島敦「光と風と夢」も終りに近い部分を読んでいるが、昭和15年ころに書かれた作品で、31歳で死んだ作家の亡くなるまでの5年間の間に書かれた作品の一つであるが、作家が作家の伝記を小説にしている。「ジキル博士とハイド博士」、「宝島」の著者のR・L・スティヴンスンのサモアの生活を日記風に描いている。暗い時代に喘息に苦しみながら、何故書かなければならなかったのだろうか。





 ・有名な白人の作家が、文明を知らない「南の島サモア」で地元の人たちを暮らすというそれこそ絵に描くようなお伽噺の冒険物語に近いものでしかないが、それは矢張り、中島敦の「夢」でもあったのだろうと。西洋人の南の島での晩年を描いたのではなく、中島のそれなのだろう。どれほどスティーブンソンの資料を揃えることができたのだろうか。当時のこととて、今のようには行かない筈だ。





 ・へ2・・・夢には色々ある。原題は「ツンタラの死-五河荘日記抄」だった。香り高い文学作品として、当時よくこれだけのものが無名の作家にできたものだと思うが、それだけの才能があった作家なのだろう。土人や召使いや、差別的な意識も感じられる作品であるが、それは、当時の日本人のインテリたちの植民地政策の一端をみれば解らないでもない。それは「光と風」につながる夢でもある。






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最終更新日  2017.03.31 03:04:51
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