ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2017.04.30
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ナンジャモンジャ







ことの善悪が判り難い。水戸黄門も何をしているのか、見ようによって善悪が逆転したりする。「篤姫」も徳川将軍の妻の話で、美化したとしか言いようがなく、嘘が真か、真が嘘か、解りはしない。作者のてにかかれば、善人にも悪人にもなる。家康の評判も昔と相当変わっている。土台確りした一次史料が少なく、東照宮にしてしまうくらいだから、神様扱いなのだ。都合の悪いことは消してしまうのだから、客観的であるはずがなく、実際どういう人物なのか、著者の見方で変わってくる。未だに、ああでもない、こうでもないと定見がない。人物評価できるベースにないものが作れないからだろう。



 ・神様ではないから、ひとの裏表は自分の見えるところしか見えない。随分ウソをつかれてきたから、少しは疑い深くなっている。だから、取り敢えず信用しない。いくつか真実が重なれば、少し信頼するが、全部ではない。最後にごろりと変わる人もいるから、下駄を履くまでは判らないのが人の評価だろう。それでも、死んでから解かる事実もあったりするから、これまた、下駄を履くのは相当経ってからのほうがいいのかも知れない。毛沢東も偉大な指導者だと誰もがいっていたが、最近の北京市民の評価は6;4だという、現地ガイドの話もある。どんなリサーチか知らない。彼のはなしから、まあない話ではないと一応納得もしている。これも疑う余地があるだろうが。



 ・へ2・・・たとえ誰であろうと、死ぬまで大丈夫だという保障は何もない。日本国憲法だって、国民主権や、平和主義や、基本的人権があるから、個人の生命が国家によって保護されていると思うと、とんでもない、それは国民の義務を果たしてから言ってくださいという。ちゃんと守って無理して納税していても、国民への年金の支払の財源がなくなりつつある。何しろ、1000兆円の借金を抱えている。国家が破綻する。これから市町村も債務超過により万歳宣言をするのではないだろうか。その怖れがある。よりによって大阪府民はど素人のタレントに運命を託してしまった。どうやら皆で関西落語のように地獄に賑やかに物見遊山にもでかけるつもりらしい。・・・その陽気なこと。    




妻子のこともどこまで理解していると言えるだろうか。女性の気持ちが分かるわけでもない。偶然の産物でしかない。慰安婦問題もどうも日本人の私には、なぜなのかいまひとつ理解できないでいる。71年間もしてからなのだろうか。これだけ多くの課題があるのに。それこそ真意を伝えていない側面もあるのだろう。ためにする議論ばかりある。昭恵氏問題も、問題の本題には入らないでいる。他人のことも、社会の問題も、不可解なことばかりだ。未解決のまま人生も終わるに違いない。





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最終更新日  2017.04.30 02:22:20
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