
権威主義は、現代人にとって安易な妥協であろうか。全体に従うこと、上部の決定に従うように教育されてきた。
併し、この教育は「自己の責任において行動し、正常な状態では、各人が自由かつ大胆な主体性
を発揮する」という教育で補完されねばならない。謂わば、それが公平とはいえない状況の中で
わたしたちは、立たされている。知るチャンスのないものには、知ることができないだろう。
ゆるやかに時代は流れているだろうか。それは、個人が置かれた環境によるだろう。そして、時も
ある。昨日まで、安定した生活が約束されていたとしても、今日は違うかも知れない。約束してく
れるものは絶対ではない。国家でさえ、国民との約束を裏切ることがある。
人の歯もいつか抜け落ち、足も歩くことができなくなるだろう。元気な声さえ闇に消えるのだ。
どうしたら、自分らしく生き延び、自由かつ大胆な主体性を発揮できるだろうか。容易ではないか
も知れない。
とぼとぼでも歩いて行こう。
明日を信じよう。