ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2018.08.30
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阿蘇








幼馴染のO君は、夢を叶えたのだろう。個展を銀座で開いたのだから、それは画家にとって一つの目標であったに違いない。大学を卒業してから、東京へ出て、絵画を続けていたことは知っている。10数年くらい前に自宅へ電話をして、消息を聴いたとき、やっとパリへ勉強へ行きますと言っていた。かなり遅くなったようだった。家族があり、彼はまじめな性格なので、妻子を大事にしていたのだろう。

 ・芸術家として、苦労をしているのだろうとその時思ったものだ。若い時の夢は叶えられないことばかり。甘いとか辛いとかではなく、障害が多過ぎるのだ。簡単に夢を持つからだと言われるかもしれない。銀座で個展を開いたからと言って、それは一つのチャンスでしかないかもしれないが、彼がそこまで辿り着いたプロセスは、軽くはなかっただろう。

 ・へ2・・・どんな相にしろ、O君は健在の様だと思うと嬉しくなった。一度会いたいが会えるだろうか。ひとことお祝いが言いたい。彼は、苦笑するのではないだろうか。夢を追い続ける人には、まだ夢は終わっていないに違いない。


戦後、私たちが、市営の引揚者住宅にの入居したのは、それこそ1951年公営住宅法施行の直後で復興住宅といわれたバラック建築だった。そのあとにできたのが、51C型の2DKでもある。その中で、私たちは育てられた。敷地内の道路で数十人で運動会をしたこともある。よく勉強もした。親たちは教育熱心だったのだろう。ほとんどみな進学していった。薬剤師になった女性もいる。10年ころ前に、懐かしいので現地をのぞいたことがあったが、建て替えられて面影はなかった。全国に散っていった幼馴染は、今頃何をしているだろうか。





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最終更新日  2018.08.30 08:58:19
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