




どんな苦しい日だとしても一日は、24時間でしかない。刻々と時間は先に進んでいく、そして一日は終わり、明日を迎える。「何もないのが一番だ」と、よく祖母がいっていた。それは「日々是好日」でもあるのだろう。特別いいことがある訳でもなく、大して悪いこともなかったという思いが尊い。思い上がった人間は、他人に不満を持ちがちだ。他人より先に行かないと気が済まない。他人より価値のあるもの、優れたものでないと気が済まない人がいる。そういう人は、他人を踏みつけることを平気でする。
・人の品格は、社会的地位によっては証明されない。品格のない人間が、虚飾の姿をしたがるのは愚劣でもある。自分にとって「好日」とは何だろうか。それは、自分に相応しくあったということではないだろうか。自分がやれることをやれたということで満足する。できなかったと反省もする。奢らないで生きていくことではないだろうか。直向きだったか。
・へ2・・・あと何年こうして早足で歩けるだろうか、考えた。いつまできるかなどわかるはずもない。私のもって生まれた遺伝子が決めることだろう。私は、始めたことをできるだけ続けようとするだけだ。母方のお祖父さんは99歳で亡くなったが、畑で転んで怪我をして、あっという間もなく亡くなった。気落ちしたのと歩けなくなったからだ。もし怪我をしなければ百歳はゆうゆうと越したに違いない。貧しくとも、「日々是好日」でありたい。