




ほんとうに よりよく
生きているだろうか、と考えた時に、目先に利害や、他人の目を気にしてばかりいる自分がいた。それは、 よりよく
ではなく、よりうまく(上手)であるにすぎない。上手く世渡りをすることだけを考えて自分をわすれていたのだと思った。意識的に考えてやっていたのではない。それこそ意識的思考というものがなかったのは、環境もあるが、多くは自覚の問題でもあるだろう。言われれば気づくだろうが言われなければ気付かないのであればそれは意識的思考がないのだ。
・ よりよく
生きることを意識しなければ、どんなに恵まれていたとしてもそれは、 よりよく
にはならない。世間では、どんなお笑いタレントでも政治家になるし、弁護士でも政治家になろうとするが、例えば県知事になれば先生と呼ばれるし、代議士も同じだろう。知事や代議士になったから偉くなったのではない。そういう社会的な地位に立つから世間では知事であり、代議士であり「先生」という敬称で呼ばれるだけだ。しかし、「選挙」という厄介なハードルがあり、それで他人から投票してもらわなければその地位に就くことができない。そして選挙人は気紛れである。どうにか日本では、それほど高い識見がなくてもやれる仕事らしい。官僚社会であるからだ。そこで、官僚と上手くやれるかがあるだろう。よりうまくやらなければ追い出されるのが関の山であろう。
・へ2・・・経済は、 よりよく
ではない。よりうまくやらないと競争に勝つことができないから、経済の中では、よりうまくが優先している。だから、この社会はよりうまくやらねばならないと思っている人たちも多いだろう。だから一般には准教授は、教授を狙っているが、その逆はない。よりうまくやろうとして、よりよく行きたいとも思わないかもしれない。思ったとしても、実行しなければ よりよく
生きているとは言えないだろう。
・世間は「見せしめ」を作りたがる。それに責任を押し付けようとさえする。悪いのはあいつだとして血祭りに上げたがるようだ。それは中世の魔女裁判ではないだろうか。そのために異教徒や、反抗的な女性が殺されたのだ。それは よりよく
生きるものたちがなすべきことではなかったはずだ。今日の福岡市の海の中道大橋飲酒運転事件にも、問題のすり替えがされている気がしてならなかった。飲酒社会をこそ問われるべきなのだ。車社会こそ見直すべきなのではないだろうか。まだ多くの交通事故が発生し、悲惨な事故が起きるのだろう。
・へ2・・・胸に手を当てて、自分は よりよく
生きているか、意識的思考をもたねばならない。