
人の運命もそのひとの閃きや連想の果てにあるのかもしれない。目覚めた時が起きた時だ。今日何があろうと、それは誰にもわからない。あるのは自分に対する感情であり、行動でしかない。止めるか続けるか決める歯止めは自分の意志だろう。人は無駄なことをしたがる。他人を理解することなどできはしない。何故なら自分自身でさえ、理解できないからだ。人と社会とすれ違いの中で生きてもいる。自分の中の生体リズムは、この環境に適応しようとしてストレスを起こしている。
・他人が信用ならないのではなく、自分さえ信用ならないのだ。馬に乗った騎士が人間の姿でもある。1400gの腸の奇妙な相の末裔が、胡桃の中の宇宙を操作している。皮膚に包まれた泡の中で何が起きているのだろうか。美しいと思う幻想は、仕組まれた脳の演出でしかない。いつか朽ちてしまう枯葉のように炭素化するだろう。太陽の日差しのシャワーを浴びて一日が過ぎる。
・へ2・・・突然より大きな存在に踏み潰された昆虫のように生命は終わりを告げるだろう。人間が昆虫を観察するように、人間もより膨大な誰かに観察されているのではないだろうか。そして、突然消される。小さい存在は、ただ消される運命でしかない。潰される。それだけだ。大きな理由を探しても、所詮は理解できはしない。より大きな世界の存在を視ることはないからだ。