
(吉永正春著「九州戦国の武将たち」より)
立花宗茂公について
「豊公知遇顕衷誠 驍将偉勲天下鳴 敗績何憂鴻鵠志 幕恩還帰柳河城」
福岡東部立花山の中腹に立花山城址がある。立花道雪が城主で、入婿したのが宗茂
である。宗茂曰く「彼のなすところをもって、これを我になせば、すなわち克たざることなし」。
のちに秀吉から「九州一の勇者」と称えられ、筑後柳川藩主となった。彼は父紹運から兵
略を学び、道雪から薫陶を受けた。宗茂15歳の時、道雪の娘?千代13歳と結婚した。天
正14年島津の5万の兵に攻められて立花城は危機に陥り、降伏を迫られた。宗茂は、
20歳であった。「命を惜しいと思うものははやくここを退出せよ。少しも恨みに思わぬ。ま
た、日ごろの君臣の約を違えず自分と一緒に戦おうと思うものは、この場にとどまるべ
し」という。その後、多くの戦歴を経て、家康の家臣となって生き延びた。75歳病没。
「わずかなことで手柄顔をするな。心ある人が聞けば何と思うか」と家中のものを戒めたという。
・面白そうな郷土史がある。史跡も沢山あるので、調べ出したら興味が尽きない。どうも市民への郷土史へのアピールが足りないようだ。史跡が多いのに勿体ない気がしてならない。宝の山が転がっている。