ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.06.28
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マラケッシュのピザ店。あちらでテレビに日本人が出てきたので驚いたが、顔だけは知っていた。



物には表と裏がある。表より裏が強いものもあるだろう。しかし小理屈であってはならない。物知りは物知りでしかないことを自覚すべきだろう。利口そうな奴は間違うものだ。自惚れるからだろう。上の写真は天安門の裏側だ。もちろん毛沢東の写真は掲げられてはいない。必要ないと考えたからだろう。写真で物事が上手くいったことなどありはしない。写真に威力はない。只の写真に過ぎない。しかしそれを利用する人と利用される人たちもいるのだろう。


 広告塔は利用するために造られるがすぐに古びてしまう。風化するからだろうか。どんな巨木も水脈がなければ枯れてしまう。大きいだけに倒れると周囲に影響を及ぼしてしまうものだ。老人はボケて徐々に飽きられて死んでいく。それはそうして過去とさっぱりと別れることができるためでもある。枯れていくものは醜くあらねばならない。臭く厭らしい。では、批判する目はどうだろうか。肯定と否定があって、アクセルとブレーキがなければならない。


 人々を愚弄してはならない。それができるのは自分が愚弄されるに値する人間だからだろう。死んだ人は何をすることもできない。人の心に残ればいいだけではないだろうか。祀り讃えられるひとはお墓の中でくしゃみをしていることだろう。人間はいつも愚かな人間でしかなかったのだから・・・。





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最終更新日  2021.06.28 02:20:05
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