ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.08.30
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玉名市。





「遊び」と云うと、「大人の遊び」と云う風に聴こえないでもないが、そういう意味ではない。いつも何かと戦っているのは、その必要がある時であって、そうでない時もある。いつも裃を着ているわけにはいかない。誰も一生戦っているわけでもない。硬軟を持ち合わせていなければ乗り越えないものもあると思う。なにが「遊び」になるのだろうか。「ハンドルのあそび」がないと、上手く運転できなくなる。自分らしく生きるということは、個性をもつことであり、「遊びこころ」をどう活かすかだ。


・西欧の美のベースはシンメトリーだという。日本の美意識は、それとは少し違う。微妙なバランスの上に成り立つ「美」だ。勿論これは一般論に過ぎない。それだけよくいえば繊細なのだろう。シンメトリーに対する人間本来の美的感覚はみなあるからでもある。バランス感覚の中で生まれる遊びもあるのではないだろうか。ドイツに行った時、整然とした都市の美しさに見惚れたが、同じ色の屋根や同型の建物に埋もれた煉瓦の世界を不思議に思わないでもなかった。つまり古い建物でも人間は新しい科学や心を持つ人たちなのだろうと。


・へ2・・・文化によって「遊び」の意味も違うのだろう。勿論個性による世界観もある。私は日々を闘っているのではなく遊んでいるとおもっている。だから続けられることもあると。ヒエラルヒーの社会で、真面目にやってはいられないことも多い。期待されない人間にはそれなりの、活き方もある。と思っているからだろう。だが誰にも軽蔑されたくはないだけだ。





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最終更新日  2021.08.30 21:20:05
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