ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.11.28
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類







イムギャーマリンガーデン。






  異文化の交流という言葉をよく聴くようになった。しかしこれは最近になって初めて聴くようなはなしではない。おそらく戦前からあった言葉であり、そのための努力もされてきたに違いない。ところがスムーズではなかった。それが、今なお叫ばれている所以ではないのか。「キング自伝」でキング牧師がガンディの非暴力思想に共鳴して、彼の公民権運動の非暴力運動に見られる運動に消化されたように、西欧と東洋にはまだ相互に補うべき余地があるのではないかという思いを強くした。






 ・人間の生きざまには東洋も、西洋もない欲望や、愚かさや、尊いものへの憧れや、愛情があるのだ。それは同じ人類だからでもある。住む場所が違っていただけだが、違う文化も作り上げた時の流れがある。敵を作ることで競い合い、時には殺しあっても来たが、もうそれをやるにはあまりにも究極の破壊兵器を手に入れてしまったのだ。人類に必要なのは共存であり、理解しあう精神であろう。それを殺されたリーダーたちは叫んでいた。それを抹殺したパワーもあるということだろう。それは私たちの身近にいて、じっと監視しているのではないだろうか。


 ・へ2・・・かって、イエス・キリストの教えを喜ばなかったし、他の優れた平和主義者を喜ばなかったのだ。彼らにも彼らの論理があるだろう。すべてが同じなのではない。然しすみ分けることができないのではないだろうか。やはり異文化の交流では解決できないのではないだろうか。触れ合い確かめ合う感情の交流抜きには世界の統合はないのではないだろうか。やはり、頭ではなくハートなのだろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.11.28 06:00:04
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: