ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.12.31
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和白干潟。2021.12.31.






「我惟う、故に我あり」という自他分離の論理を否定し、すべてが不完結であるという考えにたつと、私たちが認識する世界のすべてが疑いの対象になり、何一つ確実なものはないことになる。変転している世界の中で私たちの存立の根拠とは本当に確実なものが存在しないように思われ、ひとつ間違うと虚無的な考えに陥ってしまいがちになる。



 ・霧の海のように捉えどころのない世界で、自分にとってただ一つ確かなものは、自分が「人間としての生命」を受け入れて生きるということだと思う。併し世界に私ひとりではない。自分の場所的存在としての生命は、他との交流の中にあるのだ。依存し合いながら、変化する場所のなかでもある。つまり社会という場所の中にあって「生のパターン」を与えられ、それを受け入れていることである。これが、結局のところ、自己の存立の根拠でもある。生の意義をより深くし、より豊かにすることに眼を向けて行くことが、虚無の世界から抜け出る方向性を示してもいるだろう。


 ・へ2・・・ 「我惟う、故に我あり」という自他分離の論理を否定し、すべてが不完結であるという考えにたつと、私たちが認識する世界のすべてが疑いの対象になり、何一つ確実なものはないことになる。変転している世界の中で私たちの存立の根拠とは本当に確実なものが存在しないように思われ、ひとつ間違うと虚無的な考えに陥ってしまいがちになる。



 ・霧の海のように捉えどころのない世界で、自分にとってただ一つ確かなものは、自分が「人間としての生命」を受け入れて生きるということだと思う。併し世界に私ひとりではない。自分の場所的存在としての生命は、他との交流の中にあるのだ。依存し合いながら、変化する場所のなかでもある。つまり社会という場所の中にあって「生のパターン」を与えられ、それを受け入れていることである。これが、結局のところ、自己の存立の根拠でもある。生の意義をより深くし、より豊かにすることに眼を向けて行くことが、虚無の世界から抜け出る方向性を示してもいるだろう。


 ・へ2・・・緩やかに時間はある訳ではないが、其れと感じる自分を感じるのは、はかなくもあり、またそれでいて、鮮やかな色彩の軌跡をみてもいる。人の運命など、半分棺桶に足をかけながらも、自分の命に未練が消えないらしい。天網恢恢疎にして漏らさずというが、どうやら時代は、間がまだまだ抜けているらしい。僅かのスペースを楽しみたい が、其れと感じる自分を感じるのは、はかなくもあり、またそれでいて、鮮やかな色彩の軌跡をみてもいる。人の運命など、半分棺桶に足をかけながらも、自分の命に未練が消えないらしい。天網恢恢疎にして漏らさずというが、どうやら時代は、間がまだまだ抜けているらしい。僅かのスペースを楽しみたい。





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最終更新日  2021.12.31 16:09:48
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