


<作品>「彷徨」(習作)、「裸像を盗む男」(習作)、「鼠」(習作)、「カツフエ・ラーヴェン」(習作)
・梶井の習作群。自分と他人の関係を書いている。自と他がテーマである。「他対自」
・死んだ妹を想う。自分をどう思うか。他人との関係を書かない作家。
・日記との関係が重要。
・矢野潔は実名を避けている。
・「檸檬」・・ポーに傾倒した。同じように、結末にポイントがある。
・伏せられた名前がある。渡辺・矢野と自分。
・「日記」143ページ以下。
・何のために習作が書かれたかの意味がわからないと関心が希薄になる。他人と自分の関係ではない。
・人間がどこにもいない。
・梶井は何を描こうとしたか。
・
「彷徨」(習作)、
・同じものが二つある。書き直している。繰り返している。
・はじめはモノトーク。
・比喩として書くのが上手い。「手に砂が付いている。」詩的。詩になっている。正岡子規が始めた。「目で見たものをそのまま写す」。写生。梶井の特徴でもある。写生文。変容していく。心理を目に見るようにモノ化したのが漱石。
・梶井と太宰との相違。太宰は、梶井を真似た。梶井のパクリがある。
・すっきりしたもの・・・。晴朗な空気。太宰との違いがある。三島は梶井は好きで太宰は嫌った。
・小説は判り易いとダメになる。
・辿り着くべき結末。方向・ベクトル。容の違った反復。「檸檬」の爆弾がない。「檸檬」で成功し、ここではうまくいっていない。
・梶井にとって、善悪が重要ではない。モラルで書いていない。
・直哉の場合は、好悪=善悪と一体化している。
・美・・・惹きつけられる。
・この段階であるとどまっている。
「裸像を盗む男」(習作)、
・他人と自分との関係。
・標題を納得させるものがない。
・肝心なことができていない。
・暗示されている3人について書きたかった。書きたかったが、書かなかった。目指しているものが違う。本人と意図したものが違う。散文詩から散文(小説)他人の評価と自分の評価が相違している。
・丸善が出てくる。「檸檬」にも出てくる。
・金・借金・・・拘り。分からない。人間を支配しているもの。説明できていないもの。まだ「檸檬」・・までにはここではたどり着いていない。散文詩のレベルにとどまったが、多くの作家たちは散文と見做した。三島に影響を与えたなど。
・梶井は自分の良さに気付いていない。堀辰雄・梶井の違い。
「鼠」(習作)、
・「愛撫」・・と相対している。「愛撫」の着想がある。ねこ。猫に対する鼠。この作品が下敷きになっている。
・完成された作品。ただ「愛撫」の方が文学としては優れている。当時は、梶井は、より小さいものに関心があった。レトリックを磨いた作品。
・みるべき作品になっている。結末の選び方が上手くいっていない。良質な作品を残しながら、結末だけがうまくいっていないのではないか。
・注目していい作品である。
「カツフエ・ラーヴェン」(習作)
・親しいRと敵対するSとの間の私を書きたかった。自分を脅かす存在がいる。
・Sという存在。脅かすものではない。書かれなかった後が問題。完成していない。
・Raven(からす)
・卑屈な自分を許せない。
・腕力・・暴力。に対する人類。檸檬に書かれていないものを書こうとしていたが、・・・。
・中野重治「歌のわかれ、鑿」佐野の無礼は許せるが、それを許す自分が許せない。
・ジュリアン・ソレル・・赤と黒。軍人か僧侶か。「罪と罰」自尊について書いている。
・梶井の拘り・・・自尊。漱石や志賀直哉の影響を受けている。三島を評価している。
・他人への拘り。立っているところが漱石と同じ。対人関係が漱石のテーマ。「道草」と「明暗」に、梶井は辿り着いていない。
・詩・・私の感情を書くもの。私でありながら普遍性をもつ。私小説ではない。プロの作家が梶井を評価する傾向がある。本格的な小説は、むしろプロの作家たちには関心がない傾向がある。
P.S. NHKは大地震の大津波警報のニュースを一日報道しているけれど、どうもこういうことばかりしているような。大事件を待っているような気がしてくる。いっそ特化して、大災害や大事件の時だけやったらどうだろうか。最近は啓蒙的な番組も無いし、そういうニューズも減少しているのではないだろうか?以前の講座を見直してみると、新しい発見がある。