ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.03.22
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ロンドン。人は何を考えているか判らない。習近平主席は、ロシアでプーチンと会談し、ロシアと中国の運命を道連れにするつもりらしい。そして今夜岸田首相は、ウクライナに電撃訪問して、ゼレンスキー大統領と、会談するという。日本国内の世論は彼をどれだけ支持しているのだろうか。「チョコレートの箱」は、開けてみないと分からない。どんな未来が詰まっているだろうか。誰にも明日は判らない。







芥川「或旧友へ送る手紙」の中に「・・・けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである」というフレーズがある。龍之介の最晩年の作品群の話だ。外「三つの窓」「西方の人」「続西方の人」。芥川のぼんやりとした不安とは、リアルなのだろうか?


  君 看 双 眼 色

  不 語 似 無 愁


 「三つの窓」で、省略した書き方を好んで芥川は使っている。省略されているが、彼の死への意識が根底にあるだろう。比喩を使っているのは、特徴的といえる。芥川は、本当にぼんやりとした不安で死んだのではない。それはポーズでしかないだろう。殊に「西方の人」「続西方の人」に見られる芥川のキリスト教観がユニークである。


 キリストは、ジャーナリストだという。「情報の発信者」という意味でだ。世界に教えを広めようとしたのだという。キリストの生きた時代に理解されなくとも後世に理解されれば良いと考えたのだと。聖書は、殆どが比喩で語られ、誰もが理解できるようには書かれていない。解るはずがないものを理解しようがないのだ。聖書が広がったのは、ひとつひとつの言葉が比喩になっているために多様な個別の解釈がされうるからだという。


 芥川の作品のこの時期の省略も比喩的に描かれている。「源氏物語」が、世界で読まれるはずがない。それは長文だからだという。むしろ俳句がもつ省略が、世界で受け入れられるかも。西洋と東洋の違いは、キリスト教のパラドックスの解釈の違いだというI教授の指摘だった。面白いと思う。


 聖書は、すぐ理解できるようには書かれていない。「炉辺の幸福」のうそが、マリアとキリストが一緒になれないというのが、芥川のキリスト教観でもある。ラザロを生き返らせたのがイエスの悲劇の始まりだったという。





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最終更新日  2023.03.22 01:23:28
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