


およそ、ひとの幸福とは似通って平凡だが、苦悩はひとそれぞれ千差万別にある。四苦八苦している。もっとゆっくり考えられないものだろうか。しかし不幸感で固まった意識を解きほぐすことはできるだろう。それは宗教でなくともできるだろう。地獄も極楽もひとが創った概念でしかない。幸福ではなく極楽を求めるのであれば話は別だろうか。
・物書きというのは、自分勝手なことを書いているがそれが自覚できているかで相当違ったものになるだろう。自分の意識内でしかわからないのだから、他者を認めなければ自己本位なものになる。ひとの「幸福」も、一般的な幸せのコンセプトでしか語ることはできないだろう。
・へ2・・・ある芥川賞を貰った坊主さんが、如何にもわかったようなことを書いている。修行者であることを忘れている。世間から認知された坊主だと勘違いしている。世の中を知ったつもりでもいる。何かできるのではないかと思いあがるのだろうか。それが自分の仕事だと思うのだろうか。それで、他人に幸福を齎すことができるとおもうだろうか。よくわからないが、釈迦に説法のような本を出している。
有名だからといって人格が高潔とは限らない。その逆のことが多いではないか。権力や権威がミスリードしてきた歴史がいくらもある。地道な努力をしないで成功ばかりいっているといつかは襤褸が出るだろう。袈裟のしたの鎧がいつか見えてくるだろう。