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2011.02.11
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いままでの自分を不幸だとも思わない。

さきのことを案じはじめたら切がないのは若いころも同じで、
上を見ても下を見ても切がないのだった。

どう転んだところで終わることに変わりない人生の、終わり方を案じてもはじまらないし、
安らかな死を求めて怯えるくらいなら、与えられた人生を楽しく生きたほうがいい。


彼女は腐ったりぐじぐじするかわりに、しゃんとして笑っていたかった。

(中略)

人並みに悔いもあれば恨みもあるが、明日道端で倒れても思い残すことはなかった。

(中略)

彼女はいま、何よりも人に迷惑をかけない生き方を心掛けている。
それにはやはりひとりがよかった。

重いものを持つのがつらくなったものの、働けるうちは働き、自分で自分を支えるのがよかった。
世間の目にどう映ろうとも、貧相な見かけほど悲壮感はない。
雨や雪の日はためらわずに休んで好きなことをし、晴れれば外に出て鉢植えの植木の世話もする。
一日二合の酒を楽しみに、穏やかな気持ちで過ごせれば言うことはなかった。
そんな自分を人と比べて不幸だとも思わない。




乙川優三郎 『夜の小紋』内“虚舟”



乙川 優三郎(おとかわ ゆうざぶろう、1953年2月17日-)
小説家。直木賞作家。本名島田豊。
時代小説を数多く書き、好きな作家に山本周五郎を挙げている。
1996年オール読物新人賞(「藪燕」)、1997年第7回時代小説大賞(「霧の橋」)、
2001年第14回山本周五郎賞(「五年の梅」)、2002年直木賞(「生きる」)、
など多数の受賞歴がある。



これは主人公の老婆“いし”の人生観。

よくあるご隠居の生活に似ているが、女性でこういう描かれ方は少ないような気がする。


彼女は幼少期から苛酷で、不幸(?)な人生を歩んできた。

呉服の行商を営んでいた父親は、商う物が物なのだから、粋でいなければいけないと、
家が貧窮しているにもかかわらず夜遊びに明け暮れる。
結局、商売もうまくいかなくなるが、それでも遊びは止めない見栄っ張りな父親。
母はそんな父をいさめる事も出来ず、質屋通いでなんとかしのいでいた。

そんな中、父親が若くして急逝する。
どうにもならずに、口減らしと家計の援助のために奉公に出される“いし”。
貰った給金は実家に送り、自分にはほとんどお金は残らない虚しい日々。
先が見えず、家族の犠牲になり働く事に嫌気が差して来た頃、
母親が給金を前借してくれと言って来る。弟に家業を再建させるのだという。



そんな生活から逃げるように結婚。わずらわしい家族がいない職人気質の男。
これで人並みに幸せになれるかと思うが、そこにも実家から金の無心が続く。
遊び人ではあったが、父親は少なくとも商売には真剣で商品を見る目もあった。
だが、弟は全く商売に真剣さが感じられない。金の無心にも遠慮は全くない。
このことが夫婦関係に影響を与えてくるようになる。


職人の旦那は家業を継がせるべく、弟子と結婚させようとし、
それが叶わないのならせめて婿を取り家を継がせたいと考える。
“いし”は、娘の意中の男が長男であり、自分の家を継がなければならない
ことから婿でなくてもいいじゃないかと旦那を説得。 
この件がしこりとなり、胸中を明かさなくなる夫。
お金の管理も、いつしか任されなくなり、離婚を望むが夫は同意しない。
三行半は男性の権限。
“いし”は実家のことで迷惑もかけてきており、引け目を感じながら生きてきた。

夫が亡くなり、商売もたたんだが結局何も残らなかった。
そこで旦那の女が子供を連れてやって来る。お金の行き先に得心が行く。
その女性に対して特に怒りの感情はなく、分けられる財産がないことを告げる。
が女が帰った後、自分の人生を思い、やり場のない怒りに震える。

そして、今の借家に住むようになり、行商で糊口をしのいでいる。


こういう思い出が娘との会話の途中で思い返される。
嫁いだ娘はたまに来ては一緒に住もうと説教をする。
いつものように家族といる幸せを説き、世間体の話もしてくるが、
“いし”には全くその気がない。

「若い頃何がしたかったの?」
娘に問われて、「ずっと一人で暮らしたかった・・・」と答える。
娘は笑うが、家族のために生き、束縛され続けた女の本心だったのだろう。


娘の帰った後、いつもよりちょっと呑みたくなり、もう一合呑み始め、
ほろ酔い加減になった“いし”が、三味線を引っ張り出してきて、
子供のときに習った長唄を、艶やかで屈託のない唄声で唄うシーンで終わる。


粋だね!

淡々としているのだが、なんかいい!



一応時代小説になると思うのだが、侍も出て来ず、事件がおきるわけでもない。
老婆の晩酌とたまたま来た娘との会話、そこに思い出が重なるというごく日常の風景
なのだが、引き込まれる魅力がある。



明日道端で倒れても思い残すことはないというどっしりとした強さ。
世間の目にどう映ろうが関係ない!

老婆は今の生活に幸せを感じている。


どう転んだところで終わることに変わりない人生の、終わり方を案じてもはじまらないし、
安らかな死を求めて怯えるくらいなら、与えられた人生を楽しく生きたほうがいい。


人生の終わり方や安らかな死より、大事なのは“今”どう生きるか。
楽しく生きたほうがいい、には大賛成!

だが私はまだ“余生”ではない、ベストを尽くし、今、なすべきことをする!

・・・
でもあまり肩肘張らず、“いし”さんの人生観を見習って、
浮世から達観したモノの見方ができれば楽になるのかも?


ちなみに、タイトルの【虚舟】(きょしゅう)は
単純に「人の乗っていない舟」という意味もあるが、
「何の束縛もなくわだかまるところのない心。」という意もある。











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Last updated  2011.02.11 10:46:27
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