ココ の ブログ

異常社会(7)

異常社会(7)

 ボクの場合、両親の離婚に依る影響は反面教師的な役割を果たした事に成るのだろう。だから世をすねて犯罪に走る事もなく、逆に如何にすれば人は幸せに成れるかと言う事を真剣に考え、唯甘いだけの情愛や経済的に恵まれているだけで子供は育つものではない事も知った。要するに親を批判的に観て、子供なりに考えた訳だ。それだけに友人達の家の平和な家族構成を観るにつけ羨ましいとは想ったものの、そういう家庭もあればボクのような家庭も在るのだという現実を受け入れる事が出来たのだ。だからと言って今更、時間は後戻りは出来ないのだ。ボクの結婚式の翌年に親戚の勧めがあったのか両親が和解して複縁したと知った処で「今更・・・」とボクは祝う気にも成れ無かったし、家を訪ねる気にも成れ無かった。

Mni1ni2Mni3Mni4Mni5

 世の中が異常になったせいでボクの両親が離婚した訳ではないにしても、世の中の離婚率は年々増していて、ボクが成人した頃にはもう珍しい事では無くなっていた。生まれも育ちも違う者同士が一緒になるには何か動機が必要だが、昔とは時代が違うから親の命令だけでは成立する訳でも無く、少なくとも双方に愛情の欠片でも在るのだろうが、経済的な理由だけで一緒になる場合もあるだろう。世の中は広い。様々な夫婦の形態がある。是が理想だとする夫婦関係も見た目ほど幸せでないかも知れない。どんな幸せな家庭にも何か悩みはあるものだ。それが人生でもある。それを原因として犯罪に走るのはナンセンスでしかない。感情のもつれから結果的に家庭内の犯罪行為になってしまうケースがある。

Mni1ni2Mni3Mni4Mni5

 一番多いのは自分や相手の精神状態がコントロール出来ない場合に起きる事であって、簡単に言えば個人的な人間の資質の問題である。それが遠因となって社会性を帯びる犯罪になる場合もあるだろうが、家族以外の社会に刃を向けるのは甘えでしかないのだ。それを世間は冷たく「何を甘えているのだ」と言い放つだけだ。同情の余地は無いのである。それなのに身勝手にも自分の考えが上手く伝わらないとか考え方が違うというだけで「誰でも良いから」と見知らぬ第三者を次々と殺して行くなぞ狂人としか言いようが無い。そういう人間は矢張り生かして置く意味が無いだろう。死刑廃止論の成った国であっても見直しの気運が生じても不思議は無い。日本では死刑廃止は成ってないが、余程でないと法務大臣は死刑囚に死刑実施のサインをしない。

Mni1ni2Mni3Mni4Mni5

 それは冤罪を恐れてサインをしないのとは違う意味でサインをしないのである。つまり政府の方針や政策で効果的と思える時期に思いついたように死刑を実施するのである。死刑廃止論者はそれでもって勢いづいて反対運動をする。自分の娘や息子や妻が殺されても死刑廃止論者は廃止を主張するだろうかという疑問が生じる。綺麗事では済まされないのだ。今回のオスロでの大量射殺テロの犯人を死刑に出来ないノルウェーの国民は苦々しい想いで犯人を観ている事だろう。最長で21年の禁固刑としても許せないだろうし「犯人が21年後に釈放されて世の中に出て来た時に無事でいられるかどうか分からない」とノルウェーの女性が語っていた気持ちがボクにはよく分かる。ボクだって同じような事を語ったかも知れない。

Mni1ni2Mni3Mni4Mni5

 だがしかし、そういう犯罪者が生まれる時代に問題がある事も事実として認識する必要がある。元々、そういう人間が「オギャー」と生まれ出て来る訳では無く、成長過程で何等かの社会的影響があって生じるからである。其処には犯罪の究極の形である戦争も大きく影響を及ぼすだろう。戦争に至る考え方の違いから「正義」の定義が問われ「聖戦」という概念も生まれて来る。聖戦なら許されるという勝手な論理やその裏返しである報復も皆同じ理屈である。要は殺し合いによる力の誇示でしか無い。それも陸上戦ではなく空爆による殺戮が横行し、まるでテレビゲームのような感覚で人々を画面を観ながら抹殺して行くやり方は殺人をしているという意識が希薄だから罪の意識も何処かへ消えてしまう。

Mni1ni2Mni3Mni4Mni5

 後でその場面を暴露されて慌てたり、冷静な立場で批判するのは誰でも出来る。その行為が行われようとする瞬間の兵士の心構えが狂ってしまっていては間に合わないのだ。事が起きてしまってから批判するのを「後の祭り」と言う。「後悔先に立たず」なのだ。我々は総てを知っているのである。考え方が違うというだけで「デフォルト」を生じさせたり寸前で回避したりする。利害関係から意見の対立があり、それで世界が大きく影響を受けるのが分かって居ても立場上、言わざるを得ないとして最後のギリギリの処まで来ないと妥協しないのである。しかし、歴史の流れは止める事は出来ない。やがて緩やかではあるが時代の流れに人々は翻弄されて行く。それが異常社会と分かっていても止めようが無い。が、行き尽きる処まで行って、やがて夜明けが来るだろうというほのかな希望は捨ててはいないのだ。

にほんブログ村 美術ブログ 建築家(芸術家)へ ←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ!




© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: