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「猫と女と」(26)

小説「猫と女と」(26)

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 愚息に何も期待しなくなった原因はそれだけでは無かった。その性格や能力からして建築家には全く向いていないのだった。それは高校時代の成績や大学受験でも分かった。理工系が駄目なら美術系でも建築家への道はあった。しかし、経済を選んだのだ。祖父が税理士であった事が大きく影響していた事と美的センスが全く欠如していて能力的にも無理と分かったのだ。分かった以上、向いていない分野に無理やり向かわせる愚は取らなかった。自分の好きな方面に進めば良いのだ。しかし当人は何が好きで何が自分に向いているかも分からないまま安易に祖父の真似をする事で楽に人生を渡って行けると勘違いした様だった。いざ受験してみて自分が如何に馬鹿な選択をしたか分かったのだ。それに気がついたのに今更引き返せないと思ったのか父親の顔を見てかズルズルと税理士を目指している。学歴だけで資格を取れると考えている様で、馬鹿に付ける薬は無いのだ。


 もし息子では無く娘であったならどうだったろう。まさか進むべき仕事の道を示唆したり導いたりなぞしなかっただろう。どうせ結婚すれば辞めてしまう仕事なぞ頑張った処で高が知れている。女は結婚すれば男で人生が大きく変わるのだ。親の財産なぞ使ってしまえば無いのと同じだ。自分で生み出す力があれば別だが、そうでないなら夫に頼るしか無いのだ。夫を盛り上げ稼げる男に仕立て上げる事こそ妻の役割だ。その才能を磨くしか無いと考えるべきだ。それがー家を平和にする基本でもある。当然ながら愛だけでは喰って行けない。共稼ぎ夫婦で頑張るのも良いだろう。しかし金だけに振り廻される人生も味気ないものだ。それを舞子も女も感じているのだ。金があっても一家の中心として頼りになる心許せる男が居なければ彼女等は幸せに成れないと信じて居る。それが私でなくとも良い筈だが、運命的な出逢いと女と舞子は感じたのだろう。


 瓢箪から駒ではないが、私にとって軽い気持ちで関係を持った女性達が運命的な出逢いに成って私の人生を変えようとして居る。それは吉か凶か分からないが、乗りかかった舟である以上、決して沈まない舟にしなければならない。心がけひとつで吉にも凶にでも成るのだ。一夫一婦制の社会だから悩むだけの事で一夫多妻の社会なら悩む必要も無い簡単な事なのだと考えれば気が楽になるだろう。女も舞子も同じ考えだけに、それが少しは救いになる。そして愚妻と愚息の居る家庭に嫌気を感じている私の心の隙間に心地良い春風がそよぐ。その風は花を咲かせ蝶が舞い夢見心地にしてくれる。しかし私は決して逃げ出せないだろう。苦あれば楽ありと信じているのだ。その落差が大きい程、私の二重の生活にメリハリが効くからだ。片や厳しい現実が在り、片や楽園があると想えばこの上なく楽しい。せめて十年は波風立てずにこのままそっと行って欲しい。


 ああ、しかし私は単なる刹那主義者でしか無かったのだろうかと反省めいた考えが浮かんで来るのを抑えきれないのも事実だ。青雲の志を抱いた建築家の卵だった頃の夢は何処へ行ってしまったのだろう。世界的な建築家に成ってみせると夢見た決意はどうしたのだろう。人生も後半に入り先が見え始めたと言うのに、あと十年は無難に過ごせれば良いなぞと小市民的な事を平気で言う様になってしまった。想い起せば私の人生の夢はもっと気宇壮大なものだった。それを若気の至りとせせら笑うのも良い。曳かれものの小唄と悔しがっても良い。しかし、誤魔化しでは決してそれらを綺麗さっぱり忘れられる訳では無い。自分に嘘はつけないのだ。脳裏にはしっかりと刻まれた青春の誓いが残っている。妻も女も舞子も、かつて別れた女達にも言った事の無い誓いであったとしても私の心の底流には女達を相手にしている瞬間にも忘れなかった夢があったのだ。


 今からでも夢の実現に向かって何か行動を起こすべきと考え直せばどうだろう?。少しは心のわだかまりを払拭させる事が出来るかも知れない。自問自答して着々と目の前からー歩づつ歩んで行くしか無い。その第ー歩は今の仕事を心から満足行くものにする事だろう。例えば静岡の大学の例をとってみれば、学園のイメージは既に出来上がって建っている。建て替えの建物から急に変えるという訳にも行かないが、当初の意匠の理念は社会に受け入れられている。だからこそ二十年以上経って老朽化した建て替え工事の依頼が再び私に来て、体育館と校舎の一部を設計し直したのだ。最新の耐震構造にしたのは言うまでも無いが、設計理念は変えず意匠だけ少し変えた。つまり時代の要望を反映させ、体育館は出来るだけ明るく屋根からの採光も考慮し、ギャラリー観戦もし易くした。技術的な事は時代と共に変わるものの設計理念は当初のままという訳だ。


 そう言えば学園長の言葉が想い出される。高齢の為、息子に学園長を引き継がせる頃、校舎の増築とメンテナンスの事で相談を受けた事があった。「お久しぶりです。お元気に活躍されているご様子、慶賀の至りです。振り返れば貴方のデザインが気に入って設計をお願いしたのは確か三十年前の事でした。それが今では学園のイメージとして定着し、お蔭で社会的にも受け入れられ、ー貫教育の場として中学、高校、大学、更には幼児教育も順調に発展して来ました。新学園長に替わっても設計理念はそのまま、今後共、末永く学園の発展を見護ってやって下さい」教育者として敗戦後の日本を憂え、教育一筋にやって来た彼は、校舎の設計者に対しても温かい眼と期待をかけて居たのだった。その気持ちが以心伝心で感じられ、私は建築家冥利に尽き、頑張って来れたのだと想って居る。今もその気持ちに変わりは無い。お蔭で理事会も私を認めてくれている。(つづく)




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