癒しについて書く前に、聖書を読んでいての疑問に思ったことをちょっと触れます。これは、誰もが感じることと思いますが、イエス様に癒された記事は沢山かかれています。2000年前、障害者として生きることは周りの人の理解も乏しく、だからイエス様は癒されたのだと読み取れます。しかし、自分が感じている疑問は、そのあとその人がどうなったか?そして、どんな社会生活を送ってきたかが気になります。
1箇所だけそのことに触れている個所が、ヨハネの福音書の9章から10章です。盲人がイエス様によって癒されましたが、そのあと周囲の反応は「何故この人は癒されたのか」というものでした。両親も、「あの子はもう大人ですから」と責任を放棄しました。これが健常者の反応で、癒されたからと言ってはたして幸せだったかと言えばそうではなかったかもしれません。盲人はそのあと、村を追放されて両親と離れ離れになってしまいました。
説教で、「たとえ今癒されなくても、天国に行けば全て癒されます。貴方は癒されたいですか?」と質問しているメッセージをときどき聞きます。個人的には、この質問には No です。なぜなら、目が不自由でも振り返ると、辛いこともありましたが、楽しく毎日を過ごしていますし、天国へ外旋するときも盲人のままでも良いと思っています。これは、全ての障害者がそう思っているとは限りません。でも、こればかりは私が決めるものではなく、神様が決断するものです。説教される方にどうしてこんな問いかけが出てくるのか、それは健常者の立場から見ているからです。ですからしかたのないことです。2千年前と違って、今は健常者の方が障害者を見る目が変わってきました。手助けしてくださる方も多く神様はすごい働きをしてくださっていると感じます。
神様にとっては、肉体的に癒すのはとても簡単です。でも、健常者の見方を変えることで、障害者であっても2千年前の障害者のような辛い思いはしなくてすんでいます。ただ、神様は、その人に応じて、 精神的な癒し と 肉体的な癒し をされているのだと思います。聖書の中で、見落としてはならないことがあります。それは、イエス様によって癒された人はほんの1部ではないかと思うことがあります。
私は、お祈りするときは、相手が一番望んでいることが成就するようにお祈りしています。失明されて暫くは家に閉じ篭ったまま外に出ることは出来ません。今、「失明した人の家にいき話を聞く」と言うことをしています。周りの人にそのことを話すと、対外、「教会に来れないの」と聞かれますが、教会に来て癒されるとは思いませんし、教会に来たとしても、視覚障害者が楽しく過ごせる方法を教えるところではないからです。寧ろ私は、各自治体の援助で運営されている、福祉協会に行くことを進めています。そこでは、同じような体験をしてきた人が沢山いらっしゃるので、失明された方は、「こんな風にして毎日過ごしていけるんだ」と希望が出てきますし、教会よりも遥かに得るものがあります。(こんなこと書いたら怒られそう)。
でも、私は、肉体的な癒しも大切だと思います。それは、今は苦しくても、日日が経てば直ると希望をもって生きられるからです。この二つは切手も切り離せない関係です。苦しんでいる人がいたらお祈りすることは、私はクリスチャンとしての常識だと思っています。自分自身のことは、「神様が一番よく知っている」と思いますが、他人のことは、神様に癒されますようにと祈ることはその人にとって大きな励みになると私は信じます。
さて、日本では、2千年前と今とでは、どんな風に状況は変わってきたのでしょうか?聖書に出てくる人々は、障害者として生まれてしまった場合、仕事にも付けず、周りの人には冷たくされていたようです。ですから、イエス様が、「何をして欲しいか?」と尋ねられたら、「歩けるように・耳が聞こえるように・目が見えるように」と肉体的な癒しを求めました。これは、健常者になれば、金持ちになれるし、周りの人の目が暖かく注がれると思ったに違い有りません。
今は、不自由なところも有りますが、バリアフリーと言う考え方が定着しつつありますし、道も歩きやすくなりました。他にもいろいろと代わったところは有りますが、長くなりそうなのでここでは省略しますが、一つだけ書かせていただきます。
不自由=不幸せ 大変=不幸 では決して有りません。
今回少し長くなりましたが、2千年前の障害者と、今の状況を考えながら、私流の癒しを考えてみました。