F1とメディア(その他雑感)



近年、やっとM.シューマッハが苦労の末にフェラーリを立て直し、チャンピオンが取れるまでにチームを引っ張って来たというのに、その結果フェラーリ・M.シューマッハが強くなり過ぎたせいか、各メディアは(フェラーリ+シューマッハ)をバッシングするしか話題がないと見え、不当な扱いをしています。

小生は88年にF1を見始めてから15年(F1世界選手権の歴史は50年超)しか見ていませんが、その間のF1における様々な出来事からだけでも判断できる、いかに現状のフェラーリ+シューマッハが不当な扱いをされているかを検証します。


★先のオーストリアGPでの出来事
このGPは明らかにバリッチェロのものでした。予選、決勝ともシューマッハのパフォーマンスを上回り、最終ラップ最終コーナーまでは誰もが、バリチェロがこのGPを完璧な形で制するものと思っていました。私もそうでした。フジTVのコメンテーターがエライなと思ったのは、ラスト2周頃からでしょうか、チームオーダーによる逆転シューマッハ優勝があるかという部分に言及していましたね。少なくない人がほぼ同時に、同じ事を考えていたかもしれません。

小生も、「フェラーリならやりかねない、でもバリチェロに勝たせてやりたい」と思っていました。そして、それは起こりました。その時率直に感じたのは、フェラーリは極めて高度なプロ集団である、という事です。事前に、解説の亜久里が「そうだとしたら、フェラーリは血も涙もないですよね」と、理解を示しながらもチーム監督もやっている彼ならではのコメントをしていましたが、悪く言えばその通りですね。

しかし、当のフェラーリやジョーダン、古くはロータスやブラバム等は伝統的にファーストドライバー、セカンドドライバーを明確に区別し、ファーストドライバーにチャンピオンを取らせる事に全力を注ぐ方針をチーム内外に知らしめており、F1がチームスポーツである以上、何も不自然な事はないのです。当然、セカンドドライバーはそのサポートに全力を尽くす事が契約にも明記されており、やってる本人達は百も承知な訳です。彼らの目的はファーストドライバーをチャンピオンにする事であり、その次にチームがコンストラクターチャンピオンを取る事なのですから、その目的のために取る手段は、レギュレーションで禁止されていない限り、全てこのスポーツの一部なのです。

逆に、これに従わないセカンドドライバーがいた場合に当然生じるのが、有名なのは80年代初頭のジル・ビルヌーヴとディディエ・ピローニの確執ですよね。あるレースで、ピローニがチームオーダーに従わずに優勝(ビルヌーヴは2位)したため、頭に来ちゃったビルヌーヴが次のレースの予選でピローニとポール争いをして、攻めすぎて事故死してしまったという悲劇でした。このケースは、逆にチームとしてドライバーをコントロールできなかった責任が問われる訳で、契約違反のピローニもチームから非難されて然るべきなのです。今年のオーストリアGPで、もしバリチェロが譲らなかったとしても、Mシューマッハならもっと冷静に対処したでしょうが、バリチェロは来年以降の契約は無かったはずです。それどころか、次のレースから、ドライバーが代わっていたかもしれませんね。

もちろん、ウイリアムズやマクラーレンのようにジョイント№1体制を伝統とするチームもあり、2人のドライバーを自由に競わせて戦うのをポリシーとしています。しかし、これは価値観の差だけであり、もし同じ規模のチームなら、一人のドライバーに注力して万全の体制で戦う方が、2人をイコールコンディションにするためにチーム力を2分の1にして戦うより目的を達成するためには有利である事は明白なのです。また、彼らはめったにチームオーダーを出しませんから、過去のピケ対マンセル(ウイリアムズ)、セナ対プロスト(マクラーレン)のように確執が極限に達して、ピケ、マンセルのように共倒れになる事も有り得るわけです。

以上のように、このスポーツの持つ特性、歴史を少し知っていれば、先のオーストリアで起きた事はひとつも不思議な事は無いのです。むしろ、スキャンダラスに取り上げて注目を惹こうとしたメディアの煽動に、大衆が流されただけだと、小生は見ています。


★FIA、メディアからの扱い
つくづく可愛そうだと思うのは、Mシューマッハが台頭してきた90年代前半、80年代を代表するプロスト、マンセル、ピケといった偉大なドライバー達が、次々とF1の一線から姿を消し、残ったセナは94年、あのイモラの事故で他界してしまい、Mシューマッハの比較対象が誰もいなくなってしまった事です。他のチャンピオン達は皆、その時代の偉大なチャンピオン達と競り合い、打ち負かしてチャンピオンとなり、評価を確立して来ました。そしてまさにMシューマッハがチャンピオン候補になってきた94年、恐らくセナが他界しなかったとしても、セナを打ち破ってチャンピオンになったはずです。しかも、当時無敵だったウイリアムズに乗るセナを、ベネトンのMシューマッハが破ればその評価は揺るぎ無い物だったでしょう。

ところが、セナは次代のチャンピオンを見届けずに他界。ひとり取り残されたMシューマッハは、さしたるライバルもいない中、圧倒的な強さで94、95年を連続チャンピオンで終えます。あまりに一人勝ちなため、FIAから(些細な違反で3戦出場停止等)も、メディアからも不当な扱いを受け続けます。もし、セナが健在で、毎年Mシューマッハと競い合っていたら、FIAやメディアが変に状況を操作したり話題を作り上げたりして盛り上げようとするまでもなく、劇的なシーズンが続いた事でしょう。小生はセナは特に好きではなかったのですが、Mシューマッハと真っ向勝負する前に他界してしまった事は、返す返すも残念でなりません。

誰よりシューマッハには、アイドルだったセナ、倒すべき偉大な先輩セナが突然居なくなった事が、相当なストレスとなったに違い有りません。一昨年のモンツァで、そのセナの勝利数を上回り、「自分にとって特別だ」と言って涙を見せていた彼の姿を見て、小生も94年以来ずっと持っていた胸のつかえが取れたものです。ああ、やっぱりMシューマッハにとってもセナの死によって失った物は余りに大きかったのだな、と確信したのです。あれによって、ひとつ小生自身の中でも、セナの死を整理できた気がしました。小生もF1ファンの端くれとして、Mシューマッハと一緒に泣きました。

近年のフェラーリの強さは、シューマッハだから出来た事なのです。96年に、当時ボロボロだった(現在のルノーぐらいの状況だった)フェラーリに敢えて移籍し、ゼロからチームと車を作って行った結果なのです。移った96年など、Mシューマッハだからこその奇跡的な2勝(?確か)があったのみで、ハッキネンとまともに競えるようになった99年までは、目も当てられませんでした。いくら彼でも、フェラーリを変える事が本当にできるのか? と誰もが思っていたはずです。

現在のF1で「超一流」なドライバーは間違いなく、唯一彼のみであり、あとは並の一流です。Mシューマッハが埋もれていた間のチャンピオンであるヒル、Jビルヌーヴ、ハッキネンなどは、横綱不在の場所で優勝する3役力士程度でしかないのです。そんな、横綱がやっと、自分の努力の末に元のような相撲を取れるようになってきた現状を、面白くないとか言う前に、他のドライバーは何をしているんだという観点で見るべきですね。というネガティブな発想よりは、「Mシューマッハを倒す次代のチャンピオンは誰だ」という観点で。そういう記事を、特に日本のメディアでは見掛けませんね。


★次代のチャンピオンは?
このページの本題からは逸れてしまいますが、前項を受けて「じゃあ、次は誰だ?!」という問いに対する答えとしては、ここ数年、本当に分かりませんでした。余りにMシューマッハが完璧過ぎて、比較できるドライバーがいません。そんな中、去年あたりは、「Rシューマッハはイケる」と思っていましたが、どうも伸び悩んでおり、兄程の「スーパー」さは持っていないと見るに至りました。

次に、去年出て来た瞬間から目立っていたモントーヤですね。チャンピオンになるドライバーは、やはり出て来た瞬間に光ります。そして、先輩達、たとえ当代のチャンピオンであっても全く物怖じせず、アタックします。ドライビングの技術は当然で、むしろこのような星の強さと心臓の強さ、人を踏み付けて行く我の強さが、チャンピオンの要素だと思います。その意味では、モントーヤは非常に強いものを感じます。アメリカのCARTでも、参戦初年度にチャンピオンを取りましたし、他の「並の一流」より一歩前に出ていると思います。ちなみに、モントーヤはどうも、人に好かれるタイプではなさそうですが、人をやる気にさせ、自分の周りに終結させる魅力までも持ち合わせているのがMシューマッハですね。それを考えると、モントーヤはまだちょっと不利です。

ここ数戦で、急に頭角を現してきたのがライッコネンですね。メディアも注目しているようですが、外見の線の細さからは想像もつかない、骨太い爆発的な走り方をします。マクラーレンがよほど車作りを間違わなければ、来年中には必ず1~2勝すると思います。実は小生、それ以上を期待していて、ハッキネンが97年最終戦に初優勝した翌年にチャンピオンを取ったように、大化けする可能性を非常に感じています。今シーズン、間違えて1勝してくれないものか、と期待しています。ただ、ハッキネンの当時はAニューウエイが加入して、マクラーレンの車が急に早くなった時期と重なっていましたが、この1~2年内にそのような状況の変化が起こるとは考えにくく、マクラーレンもファースト・セカンドドライバー制を執るとか、劇的な事をやらないと無理かもしれません。

他には・・・う~ん、見当たりませんね。


★佐藤琢磨
いや、期待してたんですよ、シーズン前。何しろ、Mシューマッハも勝って来た(ハッキネンが彼に負けて泣いたのは有名ですね)、F3マカオを獲り、セナもバリチェロもチャンピオンになったイギリスF3のタイトルを獲ってきた男ですからね。F3までの実績は過去のチャンピオンと比べても全く遜色無く、輝かしいという表現が最も適しています。

しかしいかんせん、F1はそんなに単純な世界ではないのですね。いきなりウイリアムズに乗ったりしてれば、恐らく相当の(少なくともバトンあたりよりは)好成績を残していたと思いますが、フィジケラでさえ手を焼く今のジョーダンでは、完全に埋もれてしまってます。ツキもありません。

申し分ない実績を持ちながら、乗る車によってこうも運命が左右されてしまうのか、と改めてF1という世界の難しさを痛感すると同時に、琢磨の将来を不安に思う今日この頃です。いや、来年(2003年)のシートがないのではないかと、真剣に思うようになってきました。ホンダがジョーダンから手を引くのも、悪い材料のひとつですよね。ああ、本当に、どうなるんだろう??

★フジTVの姿勢
軽いフジTVが、87年の放送開始以来一貫して、スポーツとしてのF1を地道に伝え続けている事は、実は大変な事だよなあ、とぼんやり考えてはいましたが、やっぱりフジTVは軽かった。

何でしょう、今年の番組の作り方は!? オープニングに15分も割いて(エンディングまでくっつけて)、トンチンカンなノー芸ジン(芸のない芸能人)が出てきてウダウダ無駄口をタレてます。お陰で、最近のニュースや、スターティンググリッドすらまともに紹介しなくなりましたね。「ジャパン・パワー」という良く分からない造語を連発しては、トヨタやホンダ関連の初心者向け情報を流したりしてる暇があったら、早く現地の様子をやれというものです。

小生が勘ぐっているのは、番組製作体制が大きく変更されたな、という事です。去年までは少なくとも、スポーツ番組でした。今年はどうも、バラエティ色が強くなっていると思いませんか? 恐らく、「トヨタも参戦したし、琢磨も来たし、これまでF1を見た事がない初心者が増える。親しみ易く、バラエティの要素を取り入れて」とかいう方針のもと、バラエティの部署から人を引っ張ってきて、安っぽいああいう作り方をするに至ったのでしょう。

全く逆効果ですよね。小生達は、80年代後半の所謂「F1ブーム」の頃に見出した若輩者ではありますが、番組は当時そんなにチャラチャラしてないにも関わらず、放送が始まるとコメントの一語たりとも聞き漏らすまいと、TVに食い付いていました。興味があれば、自然にのめり込んで行くし、ただミーハーなだけなら、前項の心配じゃないですが、来年琢磨がシートを失ったりすりゃ、「日本人がいないと面白くない」とかいう言い訳(じゃ、放送で何分間、日本人が写ってるというんだ?)と共に、すぐに去って行くものですよ。しっかりしたファンを掴みたいなら、F1の本質を伝える内容の濃い作りにしないと、上っ面だけナメて大体分かった気になり、上記のようなセリフを吐いて消えて行く初心者が多くなるばかりだと思います。

スターティンググリッドだって、初心者はむしろ、どんなチームがあって、何と言う名前のドライバーがいるんだ、という方に興味があり、当然全ドライバーの紹介をしなきゃ、レース自体への興味も沸きませんよね。「トヨタとホンダと琢磨と、シューマッハは知ってるけど、それ以外よく分からないから、F1って面白くない」なんていう人もいると思いますよ。

去年まで、レース毎にそのレースに関するエピソードや、由来のあるドライバーの横顔をドキュメンタリータッチで紹介していたオープニング、すごく好きでした。初心者が興味を持つきっかけは、ノー芸ジンの下らないコメントより、ああいうF1の名場面や歴史のような話題だと思います。何を変える必要があったのでしょうか。

・・・って、ここに書いても仕方ないので、フジTVに投書します。はい。ついでに、昔は4時間やっていた総集編、ここ数年2時間程度になってしまいましたよね。今年はトヨタも来たし、5時間にでもなるんでしょうか。トヨタで1時間、ホンダで1時間、琢磨で1時間、総集編2時間で計5時間か?

平成14年9月8日

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