動く重力

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普通免許とフリーター(01)

普通免許とフリーター(01)

 路地裏という場所は僕には不利な場所だった。
 薄暗い灰色のコンクリートで囲われたその場所は、高いビルの影のお陰でより暗さを増していた。壁を這うように伸びているパイプはさながら血管のようだ。でも、僕はそのパイプを見ながら老朽化した校舎に絡まるつたを思い浮かべていた。
 『コンクリートジャングルというのはこの場所のことなんだよ』もし誰かにそんなことを言われたら『ええ、きっとそうなんでしょうね』と信じていたに違いない。
 僕はそんな薄暗い路地裏で黒猫を追い詰めていた。
 不利だ、僕は思った。
 無理だ、僕は思った。
 黒猫を袋小路に追い込んでいるのだが僕には捕まえることが出来なかった。当の猫はパイプからパイプへ何の苦もなく移動した後、二階の窓の上についている雨よけの上で顔を洗っていた。
 猫は軽々とあそこまで移動できた。僕はきっとあそこまで移動できない。僕は猫ではなく人間だった。ジャングルの中だと人間では猫に勝てない。そう考えれば、あの黒猫を捕まえられないことはある意味当たり前のことのように思えた。
 銃を突きつけられて『登れ』と言われたら登るだろう。誰だって死にたくはない。両手を挙げて降参のポーズを取った後で、えっちらおっちら登り始めるに決まっている。
 しかし、猫を捕まえるとなると話は別だ。人間と猫では動く速さが違う。猫が一回跳び移るだけのことでも、人間は長い時間を費やす必要があった。
 追いつけるわけがなかった。付け加えるなら、僕は銃で脅されてはいなかった。
 万策尽きたように見える僕だったが、最後の手段が残されている。
「頼むから、降りてきてくれないかな」
 呼びかけた。
 僕の最後の手段を黒猫はしっかり聞いていた。
 だから猫はあくびをひとつして見せた後、再び顔を洗い始めた。
 この時点で僕にはもう、打つ手がなくなってしまった。



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