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よく当たる 暑さ寒さも 彼岸まで 今朝の気温は27.2℃。やっと30℃を切りました。東京の最低気温は25℃とずっと言っていましたが、我が家ではそんなことはなく29℃前後でした。27℃くらいなら窓を開けて外気の空気で少しは冷やして電気を使わないようにしようと思っていたのですが、この夏は毎地にクーラーを点け放しで寝るしかありませんでした。そのせいか、口が乾き目も乾燥して具合が良くありませんでした。 昨日あたりから夜温が30℃を切るようになり、少しづつ涼しくなってきました。そういえばもう彼岸の入りで、23日がお彼岸でした。 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われていましたが、この酷暑だった夏も、何とか気温が下がってきて過ごしやすくなりそうです。 でも今日は気温は少し低くなってきましたが湿度が70%以上で、まだまだ蒸し暑いです。まあ、気温が下がってくれただけでもありがたいと思います。 数日前にNHKのテレビで世界3大資産に4つ目の資産を加えるという番組があって、今回は未完の施設ということでサクラダファミリア、カフカの城 ロダンの地獄の門を上げそれに、手塚治虫の「火の鳥」を選びました。 えっ。火の鳥ってそんな内容だっけ。未完の作品なの? 我が家にむかしむかし購入した火の鳥の漫画本がまだ保管されているはずと、引っ張り出して2巻目未来編と3冊目ヤマト編を読んでみました。 読んでみて、手塚治虫さんのすごさを改めて感じることができました。特に未来編の人類が滅亡し、ナメクジのが知的生物と生まれそれがまた滅亡し、再度と哺乳類や人類が再生してくるという展開。素粒子から全宇宙まであらゆるところに生命・意思が宿っているという思想、その膨大な時の流れの壮大さにびっくりしました。 全巻は揃っていないのですが、調べたら最終巻はあるようですので、それも読んでみようと思います。どこが未完なのかなにか感じられるかもしれません。保存しておいてよかったなあと思いました。
2023.09.22
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「辞書揃い漢クロパズルはもう飽きる」 漢字クロスワードを作るために、普通の熟語辞典だけでなく、読みを逆から引ける「日本語逆引き辞典」などをたくさん揃えました。 そうした辞書が我が家に届く前に、携帯で調べたら、二文字漢字熟語で、一文字だけ入力して調べられるサイトがあることが分かり、簡単に漢字クロスワードが作れることが分かってしまいました。 先日は「豊」という文字を使う熟語で二文字目にこの漢字が入るものは、地名以外にはないと書きましたが、同じような文字で「昆」という文字が「昆布」と「昆虫」以外にないことが分かりました。 そうした環境でつぎつぎと辞書が揃うと、いつでも漢クロは作れるという安心感なのでしょうか、なんとなく新しく作り続けようという意欲が薄れてしまいました。 それよりも多くの方が実施している川柳づくりをやってみたいと思うようになりました。こちらには「サラリーマン川柳」とか「ボケ川柳」とかいろいろなジャンルがあり、会社が募集して優秀賞を発表しているなど、後々まで残るものがあるのですね。 それで今の自分の気持ちを川柳にしたらどうなるのかと試しに作ってみました。そのことを隣家の解体振動から逃れるために出かけていた近所のマックの中で家内に話したら、自分も一緒にやると言ってくれました。 一人だけで作るよりも相手がいてほうがやる気が上がります。それで時々こちらを上げてみたいと思います。 こんな話をしたあと、我が家への帰り道に空を見上げたら、夏雲と秋の雲が両方重なって見えて珍しい空になっていました。それでまた一句・ 「夏雲と秋の雲がせめぎ合い」今日のブログが川柳だけではこれまで作った漢クロがかわいそうなので、次にあげておきます。 私 優 美 製 筋 典 楽 才 官 道 趣 史 * * * * 解答は 鉄 雅 女 です
2023.09.20
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先日、図書館に行って本を借りるついでにリサイクルコーナーを覗いて、月刊絵手紙という冊子を見つけ3冊を持って帰りました。どれも魅力的な絵手紙が掲載されていましたが、そのなかで独楽吟という言葉に初めて出会いました。 独楽吟とは、江戸時代幕末に生きた、橘曙覧という人が書いた、全52首の短歌を言うのだそうです。その形式が「たのしみは・・・・時(とき)」という定形でつくる短歌。あまり有名にならなかったのですが、平成6年秋、アメリカのクリントン大統領が天皇皇后両陛下のご訪米の際に、歓迎のスピーチの中で引用され、それがきっかけで関心が高まったとのことです。その時の句は「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲けるを見る時」 月刊絵手紙にはこの続きとして現代の方の12首の独楽吟が掲載されていました。これは面白い。現代を前向きに生きていくのに、こうした短歌を詠むのはプラスになるのではないかと私も真似してみました。さっそく作ったのが次の句です。「楽しみは 図書館に行って リサイクルコーナーの本を選び見る時」 この行為があったからこそ、独楽吟に巡り合えたのですから、今度はどんな本に出合えるかまさに楽しみです。私の楽しみは園芸。車で園芸店に出かけながらこの楽しい気持ちで独楽吟が出来ないかと考えたのが次の1句。「楽しみは 冬初めての園芸店 花の種類を 思いいる時」 冬だから、それほど品種は並んでいないだろうな、それとも思いがけない品種が出ているかもしれない、どんな鉢花が並んでいるんだろうな。わくわくしながら出かけました。この時買ったのがフリフリの大鉢シクラメンですそして 別の日「楽しみは 散歩の途中で喫茶店 ついでに鉢花買ってくるとき」 これは、散歩を目的で喫茶店に行って、その隣の園芸店でミニ水仙のティタティトを買った時のことです。今最近やっていること。「楽しみは 魅力的だと エッセイで 評価されたる本を読むとき」「楽しみは エッセイ集で紹介された 思いもしない 本を読むとき」図書館や古書で購入したエッセイ集を読んでいると、ほかの本を素晴らしいと紹介していることがあります。 これまでの私は理科学系で、「花の育て方」とか「宇宙の神秘」とかいう知識ものしか読んでこなかったので、こうしたほかの方が面白かったと紹介する文学系の本は、溢れかえる本の中から選ぶ参考になります。それでその題名を検索し、図書館や古本店で実物を入手し、拾い読みするのです。本当に面白ければ読み通しますし、つまらなければそれまでです。 こうして、自分が毎日楽しんでいることは何かを、短歌にしてまとめることも結構、頭の体操になります。そして自分もこんなことを楽しんでいるのだなと改めて自覚出来ます。 冒頭の月刊絵手紙には「ありがとう」という特集もありましたし、「身近な命」という特集もありました。こうしたテーマを決めて短歌を作るのも面白そうです。
2019.02.08
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冬になり今年もオキザリスパーシーカラーが咲いてくれています。何年も前から植え替えせずに、毎年咲いてくれています。ぎっしりになってきたので今年は植え替えてやろうかなと思います。寒さにも強いし葉も小さいし手入れせずに咲いてくれるのがいいです。 日差しが弱いと花はつぼんでしまいますが、日が出て明るさが継続するとしっかりと開いてくれます。一輪一輪の花の寿命も長いのでたくさん咲いている状況が継続します。 今日は久しぶりに朝から粘土細工をしないで、居間でベストエッセイ集を読んでいました。 ベストエッセイ集は文芸春秋社が日本エッセイストクラブ編で2011年まで毎年発行していました。その古本を収集してこれまでは主にトイレに1冊ずつ置いてゆっくり読んでいました。とうとう11年版まで到達してしまい、この後どうしようかなと思い、調べてみましたら光村図書が日本文藝家協会編として発行していました。(文芸春秋社版のベストエッセイ集は集めるのに結構苦労したのですが、いまネットで検索したら、ほぼ揃っていて信じられないくらいに安さでオークションに出ていました。これから読もうという人にはチャンスですね。驚きです。) トイレの短い時間に読み終えるのにエッセイは私にとってちょうどよい長さだったのです。無くなると寂しいので、中身を見ると掲載しているエッセイはエッセイストクラブでは主婦など一般人のエッセイも掲載され、文藝家協会編では有名人が多いと少し傾向は違いますが、なんとか納得出来そうでした。 今回文藝家協会編を読んだ中で、かつて川柳などを書き込んだことを思い出し、また書いてみたくなりました。「エッセイ集 トイレで読むのにちょうど良い」今回読んだ中に「妙齢、初老、いい年」という題の津村紀久子氏のエッセイがありました。それぞれがあらわす年齢は幾つくらいだろうという話でした。それでわが身を顧みて「いい年をして とは何歳? もう過ぎた?」池内紀氏の「すごいトシヨリ」といエッセイ。いろいろ書いてある中でトシヨリになって気づいたことを思いつくたびに書き入れてるとの記載。フーム、面白い。そこで「トシヨリになって変わったこと探す」 こうしていろいろな人の生活の仕方や考え方が、エッセイには簡潔に表現記載されていると改めて面白さを感じているところです。「エッセイでひとそれぞれの感性を知る」 ボケ防止のため、これからもこうしたエッセイを読んだり、日常で感じたことを川柳、短歌などにまとめる作業を続けようと思います。
2019.01.16
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今日も暖かかったですね。これだけ暖かさが続けば桜の開花が、だいぶ進んだのではないかと車で出かけがてら様子を見たのですが、まだ満開とはいえないようです。今日、明日が小学校の入学式の学校が多いようです。昔の映画を見ると入学式に桜が咲いているシーンが多かった気がします。これが普通の咲き方なんですね。カルタの続き。「わ」は江戸では「破れ鍋に綴じ蓋」、京都では「笑う門には福来る」、大阪では「若い時は二度ない」だそうです。 破れ鍋に綴じ蓋の意味を確認しましたら、どんな人にもふさわしい配偶者がいるものだ、夫婦はつりあいがとれる人が良いという意味だそうです。あとのカルタは読んで字の如しです。 久しぶりにクレイバラアレンジを作り上げました。これで通算96作目になるようです。写真を撮るのを忘れたのもありますので、もう少し作っているのですが、記録としては残していませんので96作目にしました。 クレイバラ96作目正面 クレイバラ96作目右から クレイバラ96作目左から 以前は作るそばから差し上げる方がいらしたので、どんどん作れましたが、もう一巡してしまい差し上げられる人もほとんどいなくなりましたので、作る機会が少なくなりました。先日、一つ差し上げてスペースができましたので、作りました。このあと3色のパステルカラーアレンジがないことに気がつき、それを作っておこうと思います。 先日ご紹介しました、透かし浮き彫りの木彫に色を塗り始め、難しいことは難しいですが、何とか進められて、これが全部彩色できればちょっと良いかなと思えるようになって来ました。これからしばらくはそちらのほうに集中してみようと思っています。 木彫には鳳凰が彫られていますので、それに彩色しなければならないのですが、さてどんな色に塗るのが良いのでしょうか。調べてみるとそれぞれ違っていて、定まった色は無いようでした。これも工夫できるところのようです。
2017.04.06
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今日も昼は暖かかったです。久しぶりに近所の食事どころにランチに行きました。行く前に作りかけのクレイバラのアレンジを始め、帰ってきてから透かし彫りの彩色を始めました。これは後ほど・・。 今日のカルタは江戸は「瑠璃も玻璃も照らせば光る」で、上方は「類をもって集まる」だそうです。その意味は・・と言われると心もとなくなります。 瑠璃も玻璃も照らせば光るとは、すぐれた素質や才能がある者は、どこにいても目立つというたとえ。また、そのような者が活躍の場を与えられたときには能力をいかんなく発揮するということ。だそうです。玉石混交と言う言葉もありますが、光をあてればおのずとわかるという意味なんでしょうね。 でも光が当たらなければ埋もれてしまうのかな?見出さなければ光らないのか、どんなところでも才能があれば抜き出てくるのか?やはり、見つけ出してやることが上に立つ人の義務なんでしょうね。 類をもってあつまるは、似た者同士は互いに寄り集まること。善人の周りには善人が集まり、悪人の周りには悪人が集まるということのたとえだそうです。類は友を呼ぶという言葉の方がなじみがあります。 今日の写真はカルタに関係ありません。昨日入手した透かし浮き彫りの写真です。本格的な透かし浮き彫り彫刻は、社寺の欄間や祭りの山車の飾りに使われています。そちらは一枚の木から掘り出した本格的なものですが、私が入手したのはその簡易版です。サイズは縦10cm、横25cmほど。 簡易版と言ってもその実物を見ると、これを作るのは大変だなと思います。正面から見るとどうやって彫ったのかとびっくりしますが、これを上から見るとその構造がわかりました。何層かに分けられて彫られ、それを接着剤などで止めていました。 折角入手できたのですから、これに彩色したらどんな感じになるのか始めて見ました。単に水彩絵の具で彩色を始めたのですが、思ったより難しいでした。今日は葉の緑を塗っただけですが、筆がちょっとでも他につくと染まってしまい奥のほうを塗るのに苦労しました。 どこまで彩色できるかわかりませんが出来るところまでやってみるつもりです。こうなると色もそうそう複雑には出来そうにありません。まあ何ごともチャレンジです。
2017.04.04
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今日は朝から晴で気温も日中は高くなりました。これで桜も少しは開花が進んだでしょう。家内は飛鳥山に前から計画していた花見に出かけました。暖かければそんなに咲いていなくても花見は出来たことと思います。 私は何時もどおりレースドール教室へ。今日は新しい手法でドレスの下段を着付けるので、少し難しかったですが、何とかこなせそうでした。今回の作品は一年かけてじっくり仕上げるつもりです。今日のカルタは江戸は「盗人の昼寝」、京都カルタは「糠に釘」、大阪カルタは江戸と一緒でした。 良く知っている気でしたが、調べてみると少し違いました。盗人が夜、盗みに入るために昼身体を休めているということで、良からぬことをたくらんでいるという意味だそうです。彼の行動は気安く見えるが、なにかたくらみがありそうだから用心しろよという意味だそうです。私は昼にはすることがないから気楽に昼寝をしていると思っていました。 糠に釘はわかりますね。何を話しかけても手ごたえがないこと。暖簾に腕押し、石に灸というのも同じ意味だそうです。 さて写真ですが、これに適したものが見つかりませんでした。それでヌスビトハギからのハギつながりでミソハギの写真を探して掲載しました。ミソハギ ミソハギはお盆の頃に咲く花で、盆棚にお供えする花ですね。ヌスビトハギの代わりに掲載するなんて罰当たりかな、ごめんなさい。 昨日図書館から借りてきた本の中に「ごきげんな人は10年長生きできる」と言う本があります。これを借りたのは中に「毎日三つの良いことを書き出す」ということが書いてあるということを何かで紹介されていたからです。 毎日3つの良いことを強制的に探し出して書き出すことが、脳の働きをポジティブに替え、それが幸福度を高め、ひいては長生きにつながるというのです。良いこととは何でもよいのだそうです。夕食に食べた食事が美味しかったとか、道や電車で出会った夫婦がとても仲が良さそうでこちらまで仕合せな気分になったとか。 これ出来そうと、2日前からはじめています。枕元や付けなどあちこちにメモを置いて、川柳が思いつけばそれを書き、三つのうれしかったことを何とか探し出して書くようにしはじめました。これがいつまで続くか、例のごとく3日坊主かもしれませんが、それを何回も続ければよいのですから、気楽に試みています。 ちなみに今日の良かったことの一つは、教室で汚れ防止に机に敷く新聞紙が珍しく英字新聞でしたので、新しいのをたくさん貰ってきたことです。これを段ボール箱に貼れば飾りになるのではないかなと思ったのです。でも紙の質が悪いので飾りにはならないかもしれませんが、前から気になっていたことが一つ試せたのでうれしいのです。 一日三つの良いことを書き出す。皆さんもやってみませんか?
2017.04.03
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2日続いた雨と曇り空も今日は朝から晴で気持ちよいです。午前中にと図書館に行き本の返却と新しい予約本を借りてきました。返した本は期待したほどでなくて飛ばし読みしましたが、今日借りてきた本は一冊がとても面白く、一気に読んでしまいました。これなら1冊わが家に置いておいても良いかなと言う本でした。 最近、古本を題名だけでどんどん購入して、いつの間にか山積みに成ってしまいましたので、少し自重し、図書館で借りて中身を読んでから所蔵して価値のある本だけ絞ろうと思い始めています。それも安価で入手を心がけます。 今日図書館に行った際に、以前定価で購入した大型本を何冊も持っていきました。興味が変わればただ場所ふさぎになるだけですからね。これからもせっせと蔵書の整理をしなければいけません。(新しく増えるのとどちらが早いかなー?) 今日の江戸カルタは「律義者の子沢山」上方カルタは「綸言汗の如し」律義者のほうは、ご主人がまじめで浮気せず夫婦仲が良いので子宝に恵まれて子沢山になるという意味です。しかし最近はそう簡単にいかないようで、勤務の形態が夜勤が多くなったり、ストレスが多いなどで、子供が欲しくてもなかなか出来ないことが多くなっています。子宝とはよく言ったものです。「白金も黄金も玉もなにせむに 勝れる宝 子にしかめやも」ですね。 上方カルタは「綸言汗の如し」は、調べるまで意味がわかりませんでした。綸言とは皇帝が発する言葉で、一度発した言葉は汗のように二度と戻すことは出来ないという意味だそうです。たとえそれが間違っていても正すことは恐れ多いという孔子の言葉だそうです。 その時代の考えかたなんでしょうね。それが後世にどんな教訓を残すためにカルタに採用されたのかどうも理解できません。今回は江戸カルタの方が好きですね。「り」が頭につくことわざは他にないのかなと調べましたら「李下に冠を正さず」とか「両雄並び立たず」や「両手に花」がありました。このどれでもいい気がしますがね。さて、これに見合った写真はと考えて、無理にこじつけました。無題 タンポポの綿毛です。この写真では種の一つが飛び出したところで、子沢山の親元から独り立ちしようとしている姿に重なります。子沢山の写真で犬や猫の可愛い姿があればいいのですが、あいにく持ち合わせていません。植物の写真しか撮っていないんですよねー。
2017.04.02
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午前中降り続いていた雨も3時過ぎには上がりました。やっと外に出かける気になり買い物をしてきました。こんなに出かけるのを億劫がっていてはいけないですかね。イロハカルタシリーズを続けていますので今日は「ち」 江戸カルタでは「塵も積もれば山となる」ですね。ほこりでも積もれば山になるように、細かいお金でも少しづつでも貯めていきなさいという教訓ですね。でも今の世の中なかなか貯めることは難しい気がします。 最近、開脚が簡単に出来るという本を立ち読みして、それを試してみました。そうしたらイカに自分の体が固くなっているか、常にも増して実感しました。うーん体の柔軟性を取り戻すためにはこれを続けなければ行けないな。 さらに今日のテレビで腹筋を簡単に鍛えるという番組を見ました。番組の進行と一緒に真似してやって、その効果の確かさがなんとなく実感しました。この方法なら日常で思い立ったときに直ぐに出来そうです。 塵も積もれば山となるは、こうしたちいさな努力が健康な身体を作ると解釈すると続けられるかもしれません。よーし、忘れないように何かに書いて壁に貼っておこう。 上方のカルタは「地獄の沙汰も金次第」であまりに現実的な、しかも味も素っ気もないものです。確かにそうかもしれませんが、少しは情的なものが欲しいです。「渡る瀬間に鬼はない」はカルタには使われていませんでした。 このカルタにちなんだ写真は・・サクラ花びら積み重なり 桜の花びらが風で吹き寄せられて集まっている写真を選びました。皆さんだったらどんな写真を付け合せようとされるのでしょうか。
2017.04.01
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今日はとても暖かかったですね。ミニバラの新葉も元気良く展開し始めています。これなら追い肥をやっておいた方が良いかなと、水肥を水代わりに与えました。あと1月ほどで咲き始めるのですよね。気がつくと近所の家の牡丹の蕾がずいぶん膨らんでいました。 江戸カルタの「と」は何だっけかなととうとう調べるまで思い出せませんでした。土地よりの冷や水でしたね。意味はわかっていますがどうして冷や水なんでしょう。これは年寄りが冷たい水をかぶることを意味するそうです。身体に悪いことを勢いから我慢してやってしまうこと。 こういうことが現代に当てはめると何があるのかなー。最近は年寄りだからと言って動かないと身体によくないと、運動を勧めます。年寄りには無理なのに若いものには負けないとがんばるとよくないぞー・・。江戸時代はそう言って揶揄しているのでしょうね。でも、今はどんどん行動することを奨励している気がします。まあそれだけ栄養状態が良く、体が丈夫に成ってきたということですかね。年寄りの冷や水なんて言わないで、「年寄りだから何でもチャレーンジ、楽しもう」ですね。 京都のカルタでは豆腐にかすがいで、糠に釘で無駄なこと。大阪のカルタでは遠くの一家より近くの隣と言うことで、遠くの親戚より近くの他人の方が頼りになるということですね。 これまでのカルタを江戸と上方で比べると、江戸の方がなんとなく皮肉っぽいのもが多く、上方の方が役に立つものが多い気がします。これからもそうなのかなー。 写真は数年前4月17日の近くのお寺さんの牡丹の蕾の様子です。牡丹の花の鑑賞時期は意外と短いので、忘れないで見に行かなければ。ボタンの蕾
2017.03.30
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江戸カルタは屁をひってであり、上方カルタは下手の長談義。 江戸カルタの意味はおならをしたのに知らぬ顔をしてすましているということ。でも、これは当然ではないかと思うのです。私がしました失礼と公言すべきだといっているのでしょうか。そういう場合もあるかもしれませんが、本来ガスは自然におなかに発生し、出来てしまうもの。公式の場で音がしてしまっても、それを詮索しないですますのが人にやさしさエチケットと言うものでしょう。こういう句があるから学校でいじめがなくならないのかもしれません。 その点、上方のカルタのほうが薀蓄がある気がします。意味は話の下手な人ほど、興味のない話を長々として相手をうんざりさせるということだそうです。角度を変えて考えるとそういう話に付き合っていられる人は優しいですね。まあ年寄りになると同じ話をくどくどと何回もくりかえすようですが・・。 この二つより、カルタには取り上げられていませんが、「下手の横好き」の方が私は好きです。意味は下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。類語として「好きこそものの上手なれ」があります。好きであるからこそ、思うように上達しなくても続けていられるのですよね。世の中の進歩の根幹だと思うのです。だから下手でも好きなんだからいいじゃないかと開き直れるのです。 写真ですが、次のものしか関連付けられるものが思いつきませんでした。ヘクソカズラです。この植物は葉をちぎるととても臭いのでこういう名を付けられましたが、花はきれいなんですよね。ヘクソカズラ
2017.03.29
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「ほ」は、江戸カルタでは骨折り損ので上方カルタでは仏の顔も三度ですね。骨折り損のほうは人生での実例を考えたのですが、やろうとしてそれは骨折り損になると事前に話されて止めることで実際にこういうことにあった記憶がありません。 あえて言えば今日も起こったのですが、テレビ番組を録画して、それをコマーシャルの部分を削除するきめ細かな操作をして、やっとDVDやBDRにダビングしようと操作したら、コピー禁止ですと表示がなされてDVD化できませんでした。これを骨折り損と言うのでしょう。ただこの格言は後ろ向きの気がします。 私はこれよりも仏の顔も三度のほうが積極性があって好きです。本当はこれも戒めで、網考えを擦るなよと言うことなんでしょうね。織田信長は1度の失敗は許すが2度根の失敗は許さなかったとか。 でも実際の社会で人を育てるときには、三度くらいであきらめていたら一人前には育たないですね。尊敬もされません。ちょうど数日前にテレビでアイチ自動車の物語を放送していましたが、そこでも何度の失敗を繰り返してそれを乗り越えて絆を深めていく内容でした。まして自分の身内ではあきらめずに何度でも許して成長させていくことが必要になりますよね。 そんなわけで今日の写真は仏つながりでホトケノザです。ちょうど今あちこちで咲き始めていますね。ホトケノザ 昨日散歩道で作ったものです。 雨止んでフッと出かける散歩道 桜の蕾だいぶ膨らむ
2017.03.28
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憎まれっ子世にはばかるの意味は「人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものである」ということらしい。憎まれっ子にはカポネのような犯罪者を指すこともありますが、一般的には同僚には不評でも、上司には評判がよくて出世する人を指している事が多いですね。 しかしこんな場合、周囲の人をおもんばかって、でしゃばることができない普通の人のやっかみも含まれているのでしょう。あの太閤秀吉だっておべっかだけで出世したわけでなく、状況判断に長けていて行動力もあり、人たらしでもあったわけです。政治家だって他を押しのけ、多くの人を納得させて意見を通せる人でなければ偉くはなれません。有力者に頭を下げて取り入ることができるか。うーん、性格によりますね。私は・・・。 人の世界は大変です。さてわが家ではどうかなと考えましたら、居ました。わが家の庭の憎まれっ子。ムラサキカタバミです。ムラサキカタバミの根 ミニバラを始め、わが家の多くの植物は鉢植えで栽培しているので、簡単に根絶できそうなものですが、季節になるといつの間にか芽を出してきてしまうのです。 この植物の厄介なところは細かい球根ができてそれで繁殖することです。草ごとそっくり抜いたつもりでも球根が残ったり、さらにばら撒かれて土の中に隠れてしまうのです。植え替えのときにそれが起こると、古い土も再生して使っていますので、植え替えた土の深くに入り込んでしまい、そこから芽を出した場合は、球根を取り出すことが困難になるのです。 実に生活力旺盛で、毎年この雑草と格闘しています。英語でも「雑草は早く伸びる」という言葉があるようです。でも目の敵にせず、こうした生命力や生活力を少し見習わなければいけないですかね。追伸 ちなみに京都カルタでは「二階から目薬」だそうです。江戸の町では2階建ては少なかったはずです。ということは2階からということわざができたのはわりと新しいのでしょうか?もっとも旅籠などは2階建てが多くあったようですので、江戸時代でもおかしくはないですかね。 雨が上がったので散歩がてら、何時もの古本屋に行ってきました。散歩するにも目的地があった方が行きやすいので何回も行くことになります。できれば行ったときには何らかの買い物をしたいので、何冊あっても1冊だけ買うことにし、あとは次の機会にまわしています。 雨止んで散歩がてらに古本屋 見つけた本はわずか百円
2017.03.27
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普通は3日といわれるが私の場合は2日坊主にもならない散歩を今日から再開しました。散歩再開の一つのきっかけになったのが読書でした。 ここのところ毎日本を読んでいて、今はまっているのは阿刀田高さんの本です。実にいろんなジャンルのことをわかりやすく書いているので面白いです。聖書の話やコーランの話、かと思えばちょっとエッチなジョーク集やブラックユーモアなど実に多彩です。 他にどんな本があるのか探したところ「いろはがるた」を解釈できれば作家になれると書いてあるらしい本も見つかり今取り寄せているところです。 その本が届く前にどういう意味か想像してみました。例えば「犬も歩けば棒に当たる」という最初の部分を自分流に解釈して、それを自分の経験に当てはめて文章にすればいいのかなと思ったのです。 それと川柳や俵万智さんの短歌にも興味を持って読み始めていますので、散歩しながら考えると健康にもボケ防止にもなるかなとはじめました。その散歩の途中で早速見つけたのが春の訪れでした。葉牡丹の花 葉牡丹が伸びていた 葉牡丹は冬の彩りですが、春の訪れで花茎が伸びて花が咲きそうになっていました。桜ももう少しで開きそうでしたが、散歩するとこうした出会いがあるのですね。 歩き始めて川柳を考えていたのですがメモを持っていかなかったのでなかなか思い出せません。確かこんな川柳です。「健康に 散歩再開 2日坊主」「散歩して健康目指すも3日坊主」。実際はそうなりそうですが、私が好きな川柳「続けよう3日坊主を何度でも」とするつもりです。 さらに、「犬棒かるた」の棒に当たるとは、今日のように出かければ写真の題材を探せるなど、なにかいいことがあるよと言うことかなと思っていました。出かける前は、何か行動すればよいことがあるという意味かと思って、自分の人生でなにがそれに当たるかななどとも考えていました。 この「棒」の元の意味はなんだろうとネットで調べると、江戸時代は棒でぶたれるという意味で現代とはちがう意味だったようです。どちらに解釈する方がいいのでしょうか?私は良い意味に解釈して積極的生き方のことわざとして残して行った方がよいなと思いました。 追伸 ついでに江戸カルタだけでなく京都カルタと大阪カルタがあるそうで載せました。京都カルタでは「一寸先は闇」 大阪では「一を聞いて十を知る」だそうです。うーん、こちらの方が判りやすいですね。
2017.03.23
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今日は久しぶりに朝から晴れ。気分がよいので自転車で100円ショップに行って買いたかったものを買ってきました。ついでに工作の材料も。すこしづつやる気が戻ってきました。カードがくれば注文したいものもあるのですが、それはもうすこし先になりそうでs。誹風柳多留20編しっかりとたのむでもなしなむえんま お閻魔様。昔住んでいたところにお閻魔様がありました。今は近所には氷川神社。そこにお参りすることもありますが、特に何をたのむわけでもありません。この句も同じでした。21編すでにご紹介しました句がありました。どこかで間違えたようです。22編いそぐのにさてさて子どもはよけぬもの 道一杯に学校から還る子供たちが今も同じようです。昔も変わらないのですね。盆棚はみんなはたけの月たらず 盆棚と言うのを家内の実家では作っていました。お盆のころに位牌を全部並べてそこに野菜類をお供えしていました。この野菜はまだ熟していない早採りのものなので月足らずなのですね。23編生酔いは祭りの跡のにぎやかし酔っ払いは花見やお祭りにつき物で、それもにぎやかしの一つと言っています。大きな心ですね。24編しりで穴上手に明けて人をいれあまり良くわからない句です。案ずるにふすまか障子を本来なら手で開けるのに、ものを持っているのでお尻で開けて入れたということでしょうか。25編いたい事帯と袴で十二両 おそらく婚礼衣装の借り賃が十二両かかるということでしょう。今も婚礼の貸衣装は高いですよね。着せ替えて母のおかしがる足の裏これもどんな情景を指しているのか判りません。どうして足の裏をおかしがるのでしょう。26編いさかひをしいしい碁打ち仲が能し碁かたきはにくさもにくしと言う類雲もありますこれでほぼ終了です。あとは45編以降にあったのを少しだけご紹介するつもりです。
2017.03.16
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まだ不正使用の件は完全解決していないのですが、気分は落ち着きましたので連載を再開します。 誹風柳多留を全部読んで、面白そうなところだけをピックアップしようと試みたのですが、参考にする本によって掲載されている句がだいぶ違っていました。大正時代に編纂された全編と戦後に編纂された全編とでは同じ句も有りましたが、ほとんどが違っていましたし、順番もだいぶ違っています。 柳多留から抜粋編集したという本も読んだのですが、その句がどこにあったのか見つけられない句がずいぶんありました。出所は同じ江戸時代の刷り物のはずなのですがどうしてこんなに違うのでしょうか。見つかられなかったのかもしれませんが。あまり続ける気がなくなりましたので、かいつまんでご紹介します。2編 水引ではまぐりを釣る雛祭り 雛祭りには生きた蛤も使っていたようで、そのハマグリが口をあけているところに子供が水引を突っ込んで遊んでいたのですね。 生き物のようにとらえるところてん 水中に出来たところてんをつかむようすを、このように表現したのですね。感性がすばらしいと思います。3編 物差しで昼寝の蝿を追ってやり 昼寝している子供のそばで繕い物をしているのでしょうか。物差しでハエを追う親心ですね。 男の子はだかにするとととまらず 男の子は着替えで裸にすると逃げ回って捕まらなくなってしまう。元気です。5編 ふいにでるひなはむすめの吉事なり 娘が嫁に行くことがきまると、ひなも一緒に行くので雛祭りではない時期はずれに出されるという意味。お目出度いことですね。6編 風呂敷をとくと駆け出す真桑瓜 風呂敷をといたら中からマクワウリが転げ出てきたということですね。戦後かなりまでマクワウリが夏に出回っていましたが、今では見かけませんね。若い人は知らないでしょうね。7編なし8編かし本屋無筆な人に付き合わず 江戸時代は本は高価で、貸し本屋が本を持って貸しに行ってました。それで文字の読めない人のところには寄り付かないという意味です。でもこれと対句があります かし本屋無筆に貸すも持っている 文字が読めない人にも貸せる春本を持って貸し歩いたということのようです。9編 金魚売これかこれかとおっかける 江戸時代には金魚を飼うのが流行しました。その金魚売りがこの金魚かと小さな網ですくおうと追いまわしている風景です。 しかられた通りに母はしかる也 時分が育ったときに母親にしかられたとおりに子供を叱って育てているということでしょうか。10編なし11編 さぼてんを買って女房にしかられる12編 朝顔は朝寝のものにしかみづら 今も残る有名な句ですね。13編 女房が留守でながしにわんだらけ 江戸も今も変わらないですね。うん、現代はまめな男性が増えているのかな? きゃっといふむすめの跡を蛙とび 何事が起こったかと思いますよね。14~18編なし19編 はだかっ子はらをたたいてにげるなり 前出と同じ 柳多留は内容が吉原とか旧句どりとか今では理解できない句が多く、現代でも面白く感じる句はそれほど多くないなと感じ始めました。ご紹介するのもあと1回程度でしょう。
2017.03.15
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やっと本の全部に目を通し終わりました。目を通したといってもざっとですから良句を見逃しているかもしれません。しかし意地になって目を通した甲斐はあったと思います。 そもそも、誹風柳多留は明和2年(1765年)に初編が刊行されています。1765年と言うとイギリスで産業革命が起こってその真っ最中であり、1774年にマリーアントワネットが即位し、その24年後(1789)にはフランス革命が起こっている。そんな時期です。 世界では大変な時代だったのですが、1853年にペリーが来航するまでは日本は鎖国中で平和な時代だったのですね。目を通し終わりましたので、今日からは第1編から順にあげていきたいと思います。第1編 このシリーズで一番最初に紹介している句もありますが、順番にあげていきます。「五番目は同じ作でも江戸生まれ」初編の第1句です。この当時から江戸生まれと言うのは、特別な意味合いを持つようになってきていたのでしょうね。(解説書が届いたのでそれを見たら解釈が違っていました。江戸では六阿弥陀と言う詣でがはやっていて、坊さんの行基が刻んだ阿弥陀仏のうち五体は江戸の郊外にあるけれど一体だけは上野アメ横の付近の常楽院と言うところにあるので、これを江戸生まれと言ったそうです。郊外と言っても今日の北区、足立区、江東区に当たるそうです。)「かみなりをまねて腹掛けやっとさせ」有名な句ですが、この誹風柳多留の2句目だとは知りませんでした。「衣類までまめで居るかと母の文」衣類までまめかと訊いているのですが、これは衣類を質屋に持っていくほど苦労をしていないかという親心の意味だそうです。「縫紋を乳をのみのみむしるなり」生まれた赤ちゃんが母親のおっぱいを飲みながら着ている着物の紋のところを意地ってむしっている様ですね。それを母親はとがめないのでしょう。「むかしから湯殿は知恵の出ぬ所」西洋ではアルキメデスが湯船に入って、解決策を見つけ出したと裸で飛び出すほど、湯船は知恵を出すところなのですが、日本ではゆったりとくつろぐところなのですね。「すてる芸はじめる芸にうらやまれ」この句はどういうことを意味しているのかちょっとわかりかねています。でも気になりましたので載せておきます。近いうちに解説本を見ることが出来ますので、それで解消するでしょう。(解説書が来ましたので判りました。芸達者な人が今では幸せな素人になっている。それにひきかえこれから芸の修業をして世に出なければ生活していけない。そういう二人の境遇の違いを詠んでいるそうです。これが男性か女性かは分からないそうです。)「子が出来て川の字形りに寝る夫婦」これも有名な川柳。誹風柳多留の初編にありました。「本ぶりに成りて出て行く雨やどり」俄雨で直ぐ止むだろうと雨宿りしていたけれど、止みそうにないので出て行く姿ですね。この句は後のほうの編でも見かけた気がします。「母おやはもったいないがだましよい」母親は腹を痛めたわが子には甘く、子の言うことにはついつい騙されてしまいがち。今も昔も変わらない親心を、騙す側から言っています。おい!子供たち反省しろよ!。いつかはわかってくれるだろう。「飛鳥山毛虫に成りて見かぎられ」江戸時代に桜見物で有名な飛鳥山。将軍吉宗が庶民の楽しみにと植えさせた桜です。それも毛虫が出てくると見に行く人が無くなるわけです。こんなところも川柳にしてしまうそのセンスが面白いです。このときの毛虫は今のアメリカシロヒトリではないはずです。「新世帯何をやっても嬉しがり」新世帯(あらしょたい)とは新婚夫婦の世帯のことです。新婚そうそうはいつの時代もこんな気分ですよね。(これも違っていました。新所帯とは結婚式をあげない本人同士が好きあって同棲した夫婦だそうです。昔は家と家とが結びつくので家具もそれ相応に準備されていましたが、二人だけの結婚なので、所帯道具は必要最小限。本当に何もないので、何をやっても喜ばれたと言う句なんだそうです。)「これ小判たったひと晩居てくれろ」これも有名な句です。そして現代もその気持ちは変わりません。「道問えば一度にうごく田植笠」田植えのシーズンに旅人が道を尋ねたのでしょう。いっせいに顔を向けて応えてくれるその親切さは、今の変わらないでしょうね。でも田植えの風景は変わっていますね。「ひんぬいた大根で道をおしへられ」これも田舎の畑の情景。目に浮かぶようです。「持ちなさい女は後にふけるもの」娘に早めに世帯を持ちなさいと母親が言い聞かせているのでしょうか。現代は世帯を持たなくても生活できる女性が増えていますから、こういう状況ではなくなってきているのでしょうね。(これも違いました。若すぎる嫁候補なので遠慮する男に、女は早くふけるものだからじきにちょうどよくなる、嫁に貰いなさいと薦める仲人の言葉だそうです。)「船の子へ蟹をなげてやる蜆とり」江戸時代のみならず昭和の時代までシジミは朝の味噌汁の定番でした。そのシジミ採りの父親が取れた蟹を船で待っている子供にほらっとなげてやっているほほえましい情景ですね。 さすがに初編には多くの良句が掲載されていました。
2017.03.07
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今日は26編から「琴の上毛虫が落てしばし止み」 屋外での琴の会なのでしょうね。その琴に毛虫が落ちてくればそれは中断しますね。風流とその場の雰囲気が伝わってきます。「いさかひをしいしい碁打ち仲が能し」碁打ちの仲間はそれは替えがたい友人でしょうね。マージャン仲間などいろいろいるでしょうね。「子を持てしるとはおそいおもひ付き」子を持ってはじめて知る親の恩という句を踏まえての川柳なんでしょう。ということはこの句は江戸時代以前にあったのですね。「着せかへて母おかしがる足のうら」これはどういう状況を詠んだのか判りません。解説書が来たときに調べてみたいと思います。「ほれ薬佐渡から出るのがいっちきき」ほれ薬は佐渡から出る金が一番効くと言う川柳ですね。結構知られている句かもしれません。25編「気のきかぬ人と山吹おいてにげ」大田道灌の「七重八重花は咲けども山吹の・・」の句に連関させているのでしょうね。でもどこが気のきかぬ人なのかこれだけではなんともわかりません。私も気が利かぬひとなのかな?飛んで22編から「たれとなくおきなおきなと花の朝」これは朝顔の花がたくさん咲いているのでしょうか。早くおきてみなさいよと催促しているのですかね。私は最近朝寝坊で、夏になっても朝顔がピンシャンして咲いている姿を見ていません。というより最近は朝顔が絡まっている垣根の家なんかありません。21編「五人の内でげひんながよくしゃべり」これと似た状況にときたま出会います。家内と食事に行くと5~6人の女性グループでそのレストランには自分たちしかいないといわんばかりに大声でしゃべっています。もう少し小さな声でというより普通の声で会話して欲しいのですが、興に乗ると大声になってしまうのでしょうね。こういう時はだいたい同じ人がしゃべっています。江戸時代から同じなんですね。「三十八年いきのびてふでをとり」江戸時代は平均寿命が今よりうんと短いので、38歳はきっともう老齢の入り口なのでしょう。まあ38歳は早すぎるとしてもこんな心境になるこのごろです。筆ではないですが。「あのぢい様のかいたのとがくを見る」爺様が描いたガク。絵か書かはわかりませんが、きっと普段の行動からは思いも寄らなかった素晴らしい作品だったのでしょうね。こんな作品が残せるようになったら老後の楽しみも増すでしょうね。 誹風柳多留の書籍を読み通すのが間に合いません。かなり読み飛ばしているのですが・・。良い句がある程度まとまっている編もあれば、ほとんど見つからない編もあります。まあ、もう少し詠み進めれば何か見つかるかもしれません。 ふしぎなのは、他の方が良い句だと紹介している句にまだぶつからないのです。どこか読み落としているのか、それともこれから出てくるのか、もう少しで判明するでしょう。
2017.03.06
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今日も良い天気です。ミニバラもかなり芽を吹き始めていますので、早いうちにもう一度イオウフロアブルを撒布しておかなかればいけないなとは思っているのですが。なかなか出来ません。 誹風柳多留30編は飛ばし29編「ざんねんさもう孝行はならぬ也」孝行をしたいときには親はなしの類義句ですね。「産んだ夢見て夜の長い里の母」嫁入りした娘が出産間近なのでしょうか。夢に見て無事出産を願う母心でしょうね。「鉢植えの梅日当りを追回し」わが家でも珍しい鉢を買った時は、こんなことをしているときもありました。28編「俄雨水かけろんをおんながし」堂々巡りの水かけ論をしている最中に俄雨。急いで逃げていれば頭も冷やされ落ち着いて、水掛け論も流されますね。「引越しの道具配料猫をだき」道具配料とはどういう意味かわかりません。引越し道具の置き場所を差配する人のことでしょうか。差配する人は作業をせずに猫を抱いているということですかね。猫好きの人でしょうね。「風鈴を扇でならす暑いこと」クーラーのない江戸時代では、暑さしのぎは団扇で扇ぐか風鈴の音くらいでしょう。風がないから扇で鳴らす。じっとり汗が吹き出そうです。「ふく水盆にかへり内々で入れ」覆水本に返らずのはずなのに、いつの間にか戻っていた。内緒で入れたんでしょうね。実際のことはなかなか戻りませんね。「おとなしい息子にわかにどらになり」おとなしく良い子だった息子がいつのまにかどら息子になっていたということですかね。それもまた過ぎればいっぱしの大人になってくれることでしょう。27編「もつれた糸嫁にわたして目をこすり」縫い物が得意だった姑も歳にはかないませんね。針を通すのはまだ出来てももつれた糸は手に余ったということでしょう。江戸時代は糸も貴重でしたでしょうから一生懸命解くでしょうが、現代だったらあっさり切ってしまうでしょうね。「木か枝か葉かさぼてんはしれぬ也」ふーん江戸時代にもサボテンがあったのですね。「行き丈の合わぬを親の嬉しがり」普通は選んだ着物の丈が合わなければがっかりするのですが、この句は子供が成長して丈が合わなくなったのを親が喜んでいます。現代でも親心はまったく同じです。 誹風柳多留の中には何を意味しているのかわからない句もたくさんあります。もうじき図書館から全句の解説された本が借りられそうなので、その解説を見ればよい句が見つかるかもしれません。その時はすこし難解な句もご紹介できるかもしれません。でも今度借りられる本はどれくらいの厚さと重さがあるのかちょっと心配なんです。
2017.03.05
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新しいモデムが届いて調子が良いので、安心してたくさん書き込み送信と押したら、あっという間に消えてしまいました。また書き込みです。でも誹風柳多留はもう止めろということなのかな。こうなったら意地でも全部読み終わるまで掲載を続けます。誹風柳多留33編「光陰の矢先にたての板はなし」光陰矢の如し この早い矢を防ぐたてはたしかにありませんね。「たたかれて身のかるくなる○○○」上の句を読んでいて、この○○○の所に入る語はなんだろうと想像したのですが思いつきませんでした。答えは雪の傘です。なるほどそういわれればそうですね。他になにか入れられるものがあるのではないかなと考えたのですが布団ではそうそう軽くならないですね。「串という字をかばやきと無筆読み」蒲焼を売る店の串と言う字を見て、字を知らない無筆の男がかばやきと読んだと言う句ですね。伝わればいいのですからそれもありですかね。32編はばれ句がありますが紹介したい句はありませんでしたので31編。「軒下に花を咲かせる俄雨」この句を最初は俄雨で軒先に雨宿りしたときに軒に滴るしずくを花と読んだのかなと思ったのですが、ことによると俄雨で着物が濡れるのを避けるためにあでやかな女性たちが軒下に集まっているという情景なのでしょうか。判りません。「のまぬやつ弁当くふと花にあき」花見でお酒を呑まない人はもうすることがなくて直ぐに飽きてしまうという句ですが、飲まなくても座を楽しめる人なら花には飽きないと思うのですが・・。「傘はどこか貴様は貴様は貴様は」傘をどこかに置いたのだけれどどこにいったのか、貴様はとすこし怒りながら探し回る。私も最近、者を探し回ることが多くなり、こんな気持ちがすこし判る気もします。昔も今も変わりませんね。 今日はこれくらいでやめて置きます。また消えたらいやですから。31編にもう1句残っていましたので付け加えます。「びいどろの中でおよぐをねこねらひ」ガラス製の金魚鉢の中で泳ぐ金魚を猫が狙っているとう情景。江戸時代の金魚鉢は丸い形でしたので、今の四角い水槽より大きく見えたでしょう。でも昔も今も猫が狙う姿は一緒なんでしょうね。
2017.03.04
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今日は曇りで午後から小雨になりました。朝のうちは何もやる気が起こらなかったのですが、甘いものを食べたら何とか元気が出ました。身体を動かすにはエネルギーになるものが必要なのですね。 先ほどからパソコンの調子が悪く、かなり書き込んでいるのですが突然消えてしまうことが数回繰り返しています。仕方がないので少しづつ書き込んでは下書き保存をしていきます。 誹風柳多留の続きですが、36編から「梅にきて仏法をなく麗しさ」 梅にきて鳴くのですから鶯なんでしょう。それでホーホケキョと鳴くのを法法華経と見たのですね。いままでこういう風には聞こえていませんでした。「古井戸へ利休すんでにはまる所」「下手将棋土産にしろと角を出し」「王よりは飛車が逃げたいへた将棋」「賎が家も桃の頃には院の御所」 この句は好きですね。どんな小さな家でも時分で育てた花が自宅に咲けば底が御所にも負けない大庭園になります。「うつくしさ生まれたままで引きとられ」江戸時代は嫁入りの際に持参金を持っていく風習があったようです。この句ではうつくしいので華美な服もいらず身一つで嫁入りしするという意味でしょう。34編「風呂敷を子に着せて行く俄雨」突然降りだしたにわか雨に、子供に風呂敷をかけて走らせる親心ですね。「家内安全女房と月見なり」家内円満、夫婦で仲良くお月見に出かける様子ですね。 今日は私もパソコンも調子が悪いのでこれくらいで終わりにしておきます。明日は良くなっているかなー。
2017.03.02
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とうとう今日から3月。これから3寒4温が始まって、本格的な春になるのでしょうね。棚のミニバラの芽がだいぶ吹き始めてきました。誹風柳多留4回目です。42編には興味を引く句がありませんでしたので、41編です。「親は爪 子は蠟燭へ火をともし」 私は親子の句が好きなようです。親は倹約しますが子はそんなことをまったく気にせず生活させるということでしょうか。40編から「重箱のすみでとどめをいもさされ」 最初は何を言っているのか判らなかったのですが、重箱の中のサトイモは滑りやすいですよね。はしで刺そうとしてもつるつる逃げる。それを隅に追い詰めてやっと刺すことが出来たということでしょうか。39編では「海底に足跡のあるいい天気」 夏の海の浅瀬で、裸足で歩いているのでしょうか。海の冷たさが心地よい良い晴れなのでしょうね。三流にこんな句があったのですね。38編からは「むか腹のくせに飯より将棋ずき」 怒りやすい人なのに、将棋が好きな人。負けてもう一番と続ける人なんでしょうね。「女房を物さしにして棚をつり」 これは長屋の木造の部屋に女房の手が届く高さに棚を作るため、そばに立たせているのでしょう。今は台所の食器棚も電動で降りてくるのがあるそうです。どっちがいいかな。「腹帯をしめると親の気がゆるみ」嫁に出した娘さんに赤ちゃんが出来るて一安心。昔は子供が生まれないと離縁と言うことがあったようですから、切実な気持ちでしょう。「エエやっと渋柿を喰ふ八年目」桃栗3年、柿8年。種を蒔いてやっと稔った柿が渋柿だったけれど、それでもやっと実がついたと喜んでいるのでしょう。「とけるほど煮こごりに成る面白さ」最近は自宅で煮こごりを作るお宅は少なくなっているのでしょうね。私の小さな頃は、何かの魚をじっくり煮込むとその汁が冬の翌朝にぷるんぷるんの煮こごりに成っていたことを思い出しました。37編にいい句が有りました。「師匠さまこわがるやつは手が上がり」厳しい先生を怖がる生徒ほどしっかりと言いつけを守って実行するため、上手になるという苦ですね。先生を馬鹿にしていうことを聞かなければいつまでたっても腕は上がりません。職人の世界もまじめな人ほど腕が上がるのでしょう。「極楽はおさきまっくらなる所」これはどういう意味なんでしょう。今は極楽でいいけれど、あとが大変だよということでしょうか。気を引き締めて・・。「大笑ひ狸の穴に手を合わせ」深刻な句が続きましたので、笑わせる句も。崖などに穴があると何かの祠のような気がします。中には注連縄や鳥居が飾ってあることもあります。それに似た穴を見つけたのでしょう。手を合わせていたら、それは狸の穴だよと地元の人にでも言われたのでしょうか。明日は36~34編からご紹介します。
2017.03.01
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後ろ側から読み始めた誹風柳多留。かなり進みましたので私が興味を持った10句前後ごとに区切りをつけて掲載していきたいと思います。「秋の田の露にぬれぬ人もなし」 この句は百人一首の「秋の田の仮庵(かりほ)の庵(いお)のとまをあらみ、わが衣手は露にぬれつつ」を元句として読まれたもの。「蚊に食われながら蛍で読んで居る」この蛍で読んでいるという部分が、蛍を題材に句を詠んでいるのか、窓辺で蛍の灯りで本を読んでいるのかはどちらなのでしょう。「なげ込みといって生花叱られる」 きっと本当に投げ入れてしまったのでしょうね。以上が第47編に掲載されていた句です。「此のたびは父もとりあえず母の侘び」この句も百人一首「このたびは幣もとりあえず手向け山 紅葉の錦 神のまにまに」が元歌ですね。「古井戸へ西瓜飛び込む暑いこと」これはもちろん「古池やかわず飛び込む水の音」ですね。「鳳凰も元はと問えば旅烏」これはどういう意味なのかわかりません。鳳凰の伝説を調べなければわかりませんが、鳳凰を題材に私宅がかなり出ていますので、鳥の鳳凰とは違うのかもしれません・「銭金に羽のないのはいい暮らし」これは詠んだとおりですね。以上46編「はへば立てたてばあゆめの親ごころ」「二親はすねをかじられ手をくはれ」「どふ見ても親ほど馬鹿な者はなし」親心を詠んだ句が3つありましたが、こういう句ばかりではありません。以上45編44編には興味を引いた句がありませんでした。次は43編。「高い敷居の踏台に母はなり」現代でも母心は同じですね。「飛車角行が蟄居している下手将棋」へぼ将棋を詠んだ句はこの句集の中に散見されます。それを集めるだけで将棋川柳の部が出来そうです。 10句を超えましたので今日はこれくらいで。みなさんが興味を持てた句はありましたでしょうか。
2017.02.28
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川柳に興味を持ち始め、シルバー川柳や健康川柳など色々な川柳の本を集めて、読んでいるうちに、川柳の初めとなった江戸時代に編纂された誹風柳多留を見てみたいと思いました。 図書館の本を検索すると色々あるのですが、どうせならすべての誹風柳多留を読んでみたいと「全」という本を予約して借りて見ました。届いた本は暑さが6cmほどもあるやや古い本でした。大正13年発行の本で閉架書庫に入っていたものです。 中身を見た途端、これはエライことになった。果たして読みきれるのだろうかと言う印象でした。しかしこの句集の中には我々が今日でも良く知っている川柳がいくつも入っている。 「かみなりを まねて腹掛 やっとさせ」 この句は句集の2番目に掲載されている。他にも次のような句がある。 「孝行をしたい時分に親はなし」 「はえば立て 立てばあゆめの親ごころ」 こうなると、最初の句はどんな句が並んでいるのだろうと気になる。第1句は「五番目は同じ作でも江戸生まれ」 では3番目は「上がるたびいつかどしめて来る女房」 1番目の意味はなんとなくわかりますが、3番目はどういうことを言っているのか判らない。 こういう句が1765年(明和2年)に初編が編纂されてから30年ほどにわたり24編まで編纂され、総数1万7567句が掲載されているとのこと。(岩崎邦枝さんの誹風柳多留より) これを全部吟味しながら見ることは大変な時間を要しそうです。しかし、折角借りてきましたので、本の後ろのほうから、ざっと目を通して、私が面白いと感じた句を何回かに分けて掲載してみようと思います。 とはいっても、読まれたのが江戸時代なので、そこに読まれている事象は、江戸時代の常識と言い回し。現代に通じることはそれほどないのではないかと思うのですが・・。
2017.02.27
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最近急に興味を持って調べはじめ、集め始めたのが川柳です。川柳にもいろいろなジャンルがあって、そのなかでも面白いなと思ったものがシルバー川柳でした。サラリーマンもの、若者もの、ペットもの、江戸もの、艶色ものなどさまざまなものがあり、なかには下ネタばかりの本や題名は気取っていたけれどたんなるぐちを羅列したものではないかと思うものまでありましたが、腹を抱えて笑うものもありました。 これは良さそうと、家族に見せたらそれぞれに自分が面白いと思うものを見つけ、家族で久しぶりに大笑いをしました。その川柳が多く集まっていた本が「シルバー川柳」シリーズと「健康川柳」という本でした。これに気を良くして、さらに川柳の本を古本で捜して購入しています。 気に入った川柳をいくつかご紹介します。 シルバー川柳シリーズ 誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ 63歳男性 この句が表紙に出ていましたので面白そうとこの本を購入したのです。 三時間 待って病名 加齢です 65歳女性 家内が医者に言っても加齢ですと言われてなかなか改善しなかった症状が、医者を替えて相談したらそれではこの薬を試してみましょうと、出してくださった薬で改善されました。なんでも加齢ですとすませる医者は要注意ですね。 食っちゃ寝て 豚ならとっくに 出荷済み 83歳女性 娘たちが気に入って笑い転げた句がこれでした。 病院に 来ぬ人どこか 悪いのか 45歳男性 病院仲間が出来ればこうなるでしょうね。 こうした句が1冊に88~90句ほど掲載され4冊出版されてました。年令が近いので共感できる句が多いのでしょうね。 「健康川柳」一日一句医者いらずという副題で、毎日新聞が毎日放送と共催で進めた企画で読者から募集した句から選んだものを発表しソレを本にまとめたものです。各月に30句以上ありますので全部で370句くらい掲載されているのでしょう。 ここで私が気に入った句は 「続けよう 3日坊主を 何度でも」大鹿新次 私のように、次から次へと新しいことに興味を持ってはじめる者へのエールに聞こえます。 「いやな事見ない聞かないしゃべらない」中岡美代子 これは大事なことですよね。 「わたくしに暖かいのは便座だけ?」 宮林重夫 事実はどうかはわかりませんが、こういうところを句にするセンスは素晴らしいですね。 「うちの風呂癒しの旅の疲れとる」 きよつぐ わが家ではいつも旅行から帰ると、「アー、うちが一番」と言います。その心境は皆さん同じなんですねー。 こうした川柳を本で読むだけでなく、自分でも作れるようになったらなと思います。 「冬の日はトイレに行くにも防寒着」早速作ってみました。朝は暖房が切ってあるので家の中でもトイレは冷えているので防寒着をパジャマの上にしっかり羽織って行きます。この句を家族に披露したらトイレが家の外にあるみたいと言われてしまいました。昔の田舎のトイレは家の外にあったのですよね。今時そういう家はないと思うのですが・・。それで 「冬の日はリビング出るにも防寒着」と変えました。暖房の効いていない部屋に出るのは、どこであっても寒いのですよね。 興味を持つものがちょくちょく変わるので落ち着きがないと思われるかもしれませんが、前に興味を持ったものはそれなりに続けていますので念のため・・。
2017.02.21
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ミニバラもクレイ細工もまだ写真を撮れる段階ではありません。それで今日もなんとか五七五に言葉を並べましたので・・・。 今日こそは 見ること出来た 朝顔の花昨日より早く郵便局に行きましたので、朝顔の花がしっかり咲いているところを見てきました。その途中で 電柱で カラスがガアと 咳払いカラスがたった一声だけ啼いて飛んで行きました。 都内でも 冬瓜届ける 人がいた冬瓜は、大きな実であまり八百屋でも売っていません。それを持って家に入る人の姿を見ました。きっとどこかで栽培していたのでしょうね。それで家につくと回覧板 届けて帰ると また届く 昨日町会の配布用の資料を役員さんの家に届け終わったのですが、今日もまた町会の資料が届いていました。こんなにバラバラでなく、まとめてくれればいいのにと思ってしまいます。でも発行が町会のお知らせだけでなく消防署とか区民館とかそれぞれ違うので、ほんの少しづつずれてしまうのです。そして大事な物の買いものにトイレ紙 かさばるけれど 必需品 今作っているクレイ人形がやっと形になってきました。少し形を整えては乾かして、おかしな部分を削ってバランスをとっています。見本があるわけではありませんので、どうしても試行錯誤が続きます。そのほうがどんどん作れなくて良いのです・・・。
2015.09.04
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先日のNHKで、ボケ防止に散歩の最中に川柳をいくつも作ると良いと放映していました。体を動かしている最中に頭も使うと脳の前頭葉の血流が良くなってボケ防止につながるそうです。 それで、今日はちょっと出かけてから帰るまで頭をひねってみました。普段言いなれていないとなかなか五七五で言えないものですが、なんとか納めました。まずは蒸し暑かったので、 秋なのに 蒸し暑すぎるぞ やい天気と天気に文句を言っておきました。郵便局からの帰りに朝顔がたくさん咲いていてもうしぼみかけているのを見て、 朝顔が 咲いていたんだ もやは昼と書き留めました。まだ10時半前後でしたがここは昼にしておきました。おっ、いい調子だぞとさらに歩くと柿の実が青いですが大きく膨らんでいるのを見つけ、さらに進んで栗のイガも緑色に大きくなっているのに気がつきました。 さすが秋 柿の実太り イガグリも家に帰って、家内が眼が乾いてしょうがないというので、パソコン画面の見すぎだと言ったのですが、たまに見るだけといって立ち上がりました。それはいいのですが、その姿勢でもまだ画面を見ようとするので、私が強硬手段でパソコンを閉じてしまいました。そうしたら家内が 私の目 心配ないよ 見えてないと五七五で答えたのです。これも面白いです。 夕方になって仕事から家に返ってきた娘も 嫌ですね 蒸して汗ばむ 晩夏ですとこちらから何も言わないのに口ずさみました。同じNHKの番組を見ていて、今日は一日五七五で考えながら歩いてきたということでした。 今日は五七五をなんとなく出来ましたがこれがいつまで続くやら。とりあえず書き留めておきました。
2015.09.03
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